世界に触れたときの、自分の感覚が好きだ。
見て、嗅いで、風を感じて、さまざまな情報が体にしみこんでいく感覚も好きだし、そこから想起される感情がじわっと身体中に広がっていく瞬間も好きだ。
この、五感から感情が生まれることが、感性なんじゃないかなあと考えている。
そして、最近になって、感性は心のバロメーターにもなることに気づいた。
雨の日の空気感、香り、肌触り。全部を体全体で感じるのが心地よい
まず、五感の話をしようと思う。
たとえば、雨の日。
降る少し前から空気が湿った匂いを帯びてくる。
そして降り出してからは水と土、アスファルトの匂いが立ち昇り、絶妙に混ざっていく。緑が多いところだと草木の香りもプラスされて、より濃厚な香りが鼻をくすぐる。
雨を触る。
小さい粒は肌に張り付くように着地するし、大きい粒はてのひらでぴょんぴょんと跳ねるのがわかる。
雨を見る。
上を向いてみると、グレーの空からとめどなく落ちてくるのがわかる。イラストみたいに、放射状に落ちてくるように見えるんだなあと感心する。夜の街灯の下で雨粒が風に流されているのをみるのも楽しい。
小学生じゃないからさすがに味を確かめることはしないけれど、少し味わってみたいとも思う。
感性は、自分の心が疲れているかどうかのバロメーターにもなる
五感での感じ方は同じでも、そこから湧き上がる感情は日によって違うのもおもしろい。
ある時は急にノスタルジックになるし、なぜだか幸せな気分になることもある。
一ヶ月前の雨は冷たさが強調されて寂しさに溺れそうだったのに、この間の雨は街にしみこんでいく感じがして、ぼんやりと温かい気持ちになった。同じ風景を見ているのに、不思議だ。
普段はなんでもかんでも分析して結論を出したがってしまうけれど、このときだけは自分の心のままに、いろんな感情が湧き上がってくるのを観察して楽しむことにしている。
五感の情報が組み合わさって、そのときの精神状態も混ざり合って、さまざまな感情へつながっていく。
これが、私の感性なのではないか。
少なくとも、私の中ではそう定義づけていいような、直感めいたものがある。
そして、最近気づいたことがある。
感性は、自分の心が疲れているかどうかのバロメーターにもなるということ。
ある日、とても疲れてベッドから1ミリも動きたくないと思った日、このままダラダラと横になっていても後で自己嫌悪感が強くなるだけとわかっていたから無理矢理散歩に出た。
知らない光景の方が刺激が強くて頭も体もクリアになるから、行ったことのない道をでたらめに歩いた。
でも、なぜか楽しくない。
いつもは分かれ道をどっちに曲がるか決めるのさえおもしろかったのに、決めるということが苦痛に感じる。
おもしろい建物や、豪華な住居を見る。正面から風が吹いてくる。昼間の太陽の匂いがする。
それらすべてに対して、ふーんそんなもんか、と思ってしまう。
ここで初めて、なにかがおかしいと気づいた。
いつもなら建物の細部まで観察して、太陽の匂いにほっこりして、風で髪がなびくたびうれしくなるはず。
でも、なにも感じない。
感じることができなくなっているのだなと思った。
五感が鈍っている、感情が出てこない、そんな自分の状態を初めてしっかりと認識した。
感じることができた。心の休息が取れたことに、心底ほっとした
もうそこからは、地図を見てまっすぐ家に帰った。そして、ゆっくりお風呂に入って、あまりテレビやネットの情報の波に触れないようにして、お気に入りの本を読んで、心ゆくまで体のケアをして、早めにベッドに潜り込んだ。もちろん目覚ましはかけなかった。
次の日、すっきりしてるんだかしてないんだかわからない状態で目覚めて、ぼんやりと自分の感覚をさぐってみる。
起き抜けの靄がかった頭じゃわからない。いつもの自分に戻れているのだろうか・・・。
若干不安を抱えながら、ベランダに出てみた。
朝日、向かいの家のプランター、朝の空気の香り。
全部、感じ取ることができる。朝日を浴びて、うれしいと感じる。少し冷たい朝の匂いが心地よい。鮮やかに咲いている花が美しいと思える。
心の休息がきちんと取れたことに、心底ほっとした。
今までは、感性は独立したもので、何にも影響されず、何かを推し量るものでもないと思っていた。
でも今は、精神状態を映し出す鏡だとわかったし、自分の状態を探ることができるものだと知った。
五感を磨き続け、その感覚を失わないようにする。生まれてくる感情を大事にする。
この、私だけの感性を大切にして生きていきたいと思う。