言葉にすることは義務であり役目。自分を面白がるために今日も書く

8歳、物語の面白さに魅了され、図書館に毎日通った。
司書の先生と本の話をすることが何より楽しかった。
11歳、物語を書く友達に憧れた。
真似して書いてみたこともあった。
13歳、皆で登場人物を考えて、物語を作った。
授業中も夢中でキャラクターの設定や、ストーリーを考えた。
15歳、文芸部に入り、一から物語を書いた。
いくつかの作品を書き終えるって難しかった。
物語は小さい頃から親しんでいたけど、エッセイを読むようになったのはごく最近のこと。
初めて手に取ったのは、確か中学生の頃。
近所の図書館で、普段は素通りしていたコーナーに立ち止まり、なんとなく見覚えのある著名人のそれを手に、貸出カウンターへ行った。
これを読み終えたら、少し大人に近づけるような気がしていた。
家に帰り、真っ先にページを開いた。
借りたのは、女性作家のエッセイ。
日々感じていることや季節の移ろいについて、穏やかに綴られていた。
何も知らなかった私は、もっと奇想天外なエピソードが詰まっているとばかり思っていたから、数ページで本を閉じた。そして、読み終わることなく図書館に返却した。
エッセイは、少し気難しくて、つまらなくて、とっつきにくい。
そう感じて、長い間手に取ることはなかった。
月日が流れ、現在25歳。
エッセイとのファーストコンタクトがいまいちだったことなんてすっかり忘れていた。
今では、小さな本棚にお気に入りの小説とエッセイが半分ずつ並んでいる。
エッセイを読むと、会ったことのない彼らと、どこか深く繋がれた感覚になる。
綴られた言葉に背中を押されたり、喝を入れてもらえる。
彼らと道でばったり会った日には、数時間熱を込めて話してしまいそうなくらい、共感できる。
知人や家族に話せないことも、さらけ出してくれているような気がする。
どうして幼い頃の私には、あんなにむずかしく感じたのだろう。
歳を重ねたから? さまざまな経験をしたから?
きっときっかけなんて、何だっていいのかもしれない。
今の私にとって、エッセイは身近な存在になっている。
私がなぜ、エッセイを書こうと思ったか。
それは今年、私の人生に大きな転機が訪れているから。
似たようなことを世に発信している人はたくさんいる。
私が投稿したって、と思うこともある。
数年後には「全然大したことじゃなかった」って失笑するかもしれない。
それでも、言葉にして、昇華しなきゃ。
これはもう、必然であり義務であり、役目だと思った。
願わくば、誰かの目に止まれば嬉しい。
そう思ってパソコンの前に座ってみたものの、いざ書き始めると、少しちがっていたようだ。
文字数が増える度に、新たな自分が表れるのだ。
想定外の言葉が出てきて驚くこともあるし、まったく何が言いたいのか分からない文章が完成して頭を抱えることもある。
四半世紀、自分と向き合ってきたつもりだったけど、まだまだだったらしい。
それはなんだか、少し複雑で、でも毎日新鮮で。
いつの間にか夢中になっていた。
今日もパソコンの前で、スマホを片手に、言葉を綴る。
自分の人生を楽しむために。
自分を面白がるために。
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