好きなものにのめり込みやすい。
私は依存体質だと思う。
糖依存しすぎてやめられない甘い物(甘い物をやめられなくて1年で10キロも太ってしまった、しかも何度もリバウンドを繰り返している)。
恋人に依存しすぎて周りのことが何も見えなくなることなんて、日常茶飯事だった(今はあまり恋愛には興味が持てなくなってしまった。寂しい)。
ゲームにハマったら毎日朝までやっちゃうし、なにか一つの食べものにハマったらそればかり食べてしまって体調を崩す。
体が悲鳴をあげたり、人間関係が崩壊したり、日常がうまくいかなくなったりしないと、自分が依存していることにすら気付けないのだ。
恥の多い人生だなと自分でも思う。

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世の中では、依存はだめだと多くの人が言う。
男に依存する女はメンヘラで痛い、食べ物に依存する人は人間としてなってない、ひとつのことにのめり込みすぎて日常が崩壊する人は未熟だ、とか。
写真をシェアして楽しむだけのコンテンツだったはずのInstagramでさえ、依存はだめだ、と多くの人が発信している。
多くの人が、依存を乗り越え、前向きに生きていきたい、と言う。
それが称賛される世の中であると私も感じている。
素直にそれもそうかもしれないね、と自分を戒める気持ちが心に生まれる一方で、この依存はある種の才能でもあるんじゃないかと思う。
破滅する才能、とでも言ったら自虐的だろうか?

世の中には、秒速でぶち上げ!コスパよく活きる方法!これが人生の正解です!みたいな情報が溢れかえっていると思う。
コスパよく生きた先にあるものはなんだろう?安定した仕事と絶対に(?)裏切らない資産と絶対に裏切らない(?)人間関係とか?
もちろん、そういうものに魅力や幸せを感じる人はいると思うし、それを達成したよ、と笑顔で話す人は素敵だと思う(自信がみなぎっていて、私と人間レベルが違うや、と思わされる。リスペクト極まりない対象だと思う)。
そういう人は、破滅を選ばない努力をしているだろうし、もしかしたら破滅をしてきた経験を通して、「今」を勝ち取っているのかもしれない。

ただ、今の私は「それだけじゃない人生」というものに魅力を感じている。完成しない自分、とでも言うのだろうか。

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物事に依存して、他のことが立ちいかなくなって、いわゆる「詰み」状態=破滅を経験する、ということは、傍から見たら「みっともない」「未熟」なのかもしれない。
でも、そこまで「好き」と思えること、「欲しい」と思えることは一種の才能じゃないだろうか。
それで詰んで破滅するという経験は、貴重な経験なのではないだろうか。

世の中に経験しなくていい経験など無いと私は思う人間なので、こういう、多くの人が避けたいと思う状態は、私にとっては貴重な学びの種のように思える次第だ。

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なんだか依存体質の自分を擁護するような内容になってしまったようだが、依存は悪いもので、「好き」という気持ちをセーブしなくちゃいけないよ、というのは、求めずとも、あらゆるメディアや自己啓発系アカウントが教えてくれるので、私は自分自身に「いいぞ、もっとやってみろ」とこれからも言ってあげようと思う。
そうすることで、自分のストレスも少なくなるし、学べる機会が増えると感じるからだ。

いつか依存することに飽きたら、また別にフェーズを愉しめばいいだけで、結局どんな道を行こうが、人生は学びだらけだと思う。