時を遡ること約10年前。田舎くさい制服に身を包み、スマホではなくガラケーを愛用していた高校時代。
当時、携帯電話で個人ホームページを作ることが流行っていた。ホームページと言っても、プロフィール、リアル、ブログ、アルバム等、機能はごくごくシンプルなものだ。リアルとは「リアルタイム日記」のことで、今で言うTwitterに値する。

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身近な友人のほか、顔も本名も知らないユーザーさんが遊びに来てくれることもあった。
そんなユーザーさんの中で、特に頻繁にコメントを残してくれる人が1人いた。
音楽の趣味が似ており、好きなバンドが共通していたことがきっかけでどんどん親しくなった。

会話の深度は日に日に増し、話をする場も、ブログのコメント欄からホームページのDMボックスへ、DMボックスからキャリアメールへ、キャリアメールからLINEへと、時の流れとともに移り変わっていった。彼女は遠方に住んでいたようだったけれど、オンライン上だと物理的な距離なんて何も問題ではなかった。

そんな彼女と初めてオフラインで会ったのは19歳のとき。このときはたまたま彼女が関東に来る用事があり、楽しみ半分緊張半分の初対面を果たした。
私よりも1歳年上ということはずいぶん前から分かっていたけれど、実際に会うと、文字だけでは伝わらないリアルなお姉さん感に思わずドキドキしてしまった。大人びていて、でもすごく話しやすくて、そんな素敵な友人を持てたことに私は改めて嬉しくなった。

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学生時代を通り過ぎ、気付いたらお互い社会人になっていた。ガラケーはとうにスマホに変わり、例のホームページも放置しすぎてどうログインしたらいいのかすら分からなくなってしまったけれど、彼女とはコンスタントに連絡を取り続けた。
そして学生のときとは違う意味で、彼女に共感する場面が多くなった。

彼女は、仕事でかなり苦労しているようだった。
彼女はきっと何も悪くない。ただ繊細で、敏感で、周囲に気を遣いすぎるがあまり疲れてしまっているのではないかと思った。それでも頑張ろうとしてしまう、そんな彼女の状況には既視感しかなかった。

私自身も、何度も同じ思いをしてきたからだ。
もちろん感じ方は人それぞれだし、全部が全部を「わかる」と一括りにしてはいけないと思う。それでも、結果的に会社を辞め、仕事と距離を置くことになった彼女の決断が、どうしても他人事とは思えなかった。

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私はかつて、短期離職を繰り返した挙げ句、しばらく働くことから離れていた時期があった。今でこそフリーランスとそれっぽく名乗ってはいるが、心の奥底には「集団に馴染めなかった」「逃げ出しただけなのかもしれない」というどこか後ろめたい気持ちも燻っている。

彼女には、今は先のことは考えず、とにかくゆっくり休んでほしいと伝えた。
そして、自分にとっての「楽しい」「好き」に触れて、気持ちを少しでもポジティブな方向に持ち上げてほしい、とも。
これは、泥沼に沈んでいたような毎日を送っていたかつての自分にも贈りたい言葉だった。

イラスト等のデザイン分野に以前から興味があったという彼女は、離職期間中にデザインツールを学んだり、関連する講座に参加したりしてみたようだった。「好き」を純粋に追い続ける彼女の姿に、私は心からエールを贈り続けた。不安を吐露してくることももちろんあったし、その気持ちも痛いほどに分かった。それでも、「きっと大丈夫」と私は信じてやまなかった。

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そして、つい先日のこと。
「希望していたデザイン関係会社への就職が決まった」
彼女からの待望の報告。メッセージの文面を見た瞬間、喜びがふつふつと湧き上がってきた。万歳代わりに、手にしたスマホを宙にぽーんと放り上げるところだった。
現在や将来への不安を抱えて時折立ち止まりつつも、地道に“その時できること”を続けてきた彼女。それが確かに報われたのだと思った。

私のおかげだと、彼女はよく言ってくれる。
私のことばが好き、私の文章が好き、と。
勇気をもらえるとも言ってくれる。
私は、正直何もしていない。ただひたすらにことばを贈ることしかしていない。

それでも、そんな自分のことばが確かに人の心に届いているということに、私のほうこそ大きな勇気を与えられた。
書き続けていいんだと、赦しをもらえたような気がした。

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就職に伴い、彼女は引越しもすることになったらしい。
生活が大きく変わることに対して不安そうな様子も垣間見えたけれど、私はその背中を「きっと大丈夫」と、優しく、同時に力強く押したいと思う。

彼女が進んでいく新しい道に、私はこれからもことばの花束を贈っていくつもりだ。