15年前に購入し、渡せなかったピンキーリングが捨てられない

高校生の頃に着ていた好きな色のワンピース。ゲーム機の箱。プリンが入っていた瓶。お気に入りのチョコレートの包み紙。今は亡き愛犬が子犬のころに、かじって歯型の残ったプラスチックのターナー。
そして黒くくすんだ指輪。

昔から整理整頓が苦手だ。
物に愛着が湧くタイプらしい。

一目惚れして買ったワンピースは、着ていた頃にかわいいねと言われて嬉しかった思い出があるし、ゲーム機の箱は売る時に必要だ(売ったことはない)。
プリンの入った瓶は、買ったお店に持っていったら割引券をくれると言われた(持っていったことはない)。
お気に入りのチョコレートの包みはファイリングしているので、きっと邪魔にならないし、犬がかじったターナーは、わざわざ実家から持ってきた。
先日、そろそろかと思って新しいターナーを買ったが、捨てられない。

指輪は、シルバーのピンキーリングだ。
真ん中にピンク色の、ハートの形をした小さな石がついている。
ピンク色のリボンがかけられたハート柄のボックスを開けたのは、購入してから10年近く経ってからだった。
開けたこともない、その小さな箱をわざわざ上京するときの荷物に詰めてきた。
16歳の時に買ったものだと思われる。
私には、この指輪を渡したい相手がいた。

中高生の頃、オンラインチャットで出会った彼女に夢中だった

当時はまだ、TwitterもFacebookも日本でリリースされたばかりで、SNSならmixi、携帯電話もガラケーが主流だった。
そんな中で14歳ごろから日参するようになったのが、チャットだ。ゲーム攻略サイトに設置されたCGIのチャットは当時とても人気で、ユーザーが多かった。入れば必ず誰かがそこにいて、ハマれば常連になり、私と彼女も常連だった。ほとんど毎日、その場所で文字をやりとりした。

彼女は同い年だったが、他者とコミュニケーションをとるのがうまく、ハツラツとし、嫌味のない、落ち着いた発言をする少女だった。

チャットの人たちとは、仲良くなるとメールアドレスや電話番号を交換し、個人的なやりとりをすることも多かった。
彼女の写真を送ってもらった。
ぱっちりとした黒目、筋の通った鼻に、はにかんでピースをする姿。
私はますます、彼女に夢中になった。

私たちは中学校を卒業すると、彼女は進学校に進学し、私はバイトに勤しんだ。
オンラインの友人たちと、リアルで会うことをオフ会と呼ぶ。
チャットを通して全国各地にできた友人たちとオフ会をするために、私はアルバイトを始めたのだ。

友人といっても年齢も性別もさまざまだった。住んでいるところも北は青森、南は沖縄と、全国に散らばっていた。
私は山口県、彼女の住まいはなんと福島県。
計画としては山口を出発し、石川、岐阜、神奈川、東京、福島へ行く予定だった。
沖縄の友人が、初めて旅する私のために送ってくれたキャリーバッグ。それを持って夏休みに会いに行くと約束し、彼女のために、指輪を買った。

しかし、それは叶わなかった。
夏休み、彼女の部活が予想外に勝ち進んでしまい、私が滞在予定にしていた日に東京に出なければならなくなったと。

その年、梅雨明け宣言がないまま8月を迎え、蒸し暑く湿った夏を突っ切るように新幹線へ乗り込み、ひとり、友人たちへ会いに旅へ出た。
彼女とは会えなかったが、当時の仲間たちに支えられ、なんとか無事に終えることができた。
あの時の達成感は、忘れられない。

そして少しずつTwitterやFacebookが日常に浸透し、常連たちもチャットに顔を出す頻度が日に日に減っていった。

2011年、東日本大震災が起こった時、真っ先に心配したのは東北に住む彼女たちのことだった。
数日経って、幸いにもチャットの友人たちと連絡が取れた。彼女も無事だった。
そして彼女は、東京の大学に行く予定だと教えてくれた。法律の勉強をするのだと。

その後もお互いの誕生日にメッセージを送りあったりしたが、連絡はLINEの時代になり、メールやチャットはプライベートでは使われなくなり、次第に疎遠となった。
東京の大学に進学したのか、いまどこに住んでいるのか、なにをしているのか、元気なのか、分からないまま日に日を重ねた。

どれだけ仲が良くて楽しい日々を過ごしていても、ふと気づくと人間関係が変わってしまっている時がある。
それを成長と呼ぶのだろうか。
ただ時代に流されただけなのか。
もしもそうなら、あの指輪と一緒に、小さな箱の中に、すべてを閉じ込めていられればよかったのに。

「会いに行くね」と約束した旅の証を一生大事に持っていたい

やがて私は就職のために上京することになり、あの指輪が入った箱を自然と荷物に詰めていた。
新しい暮らしが始まる部屋で、初めてその可愛らしい蓋を開けると、黒ずんだシルバーが収められていた。
ずっと開けずにいたから、こんなに変色しているとは思っていなかった。
「あの時、あのままを閉じ込めておきたい」などということは、なんとおこがましいことなのだろう。
そんなことは出来やしないのだと、ついに日の目を見た指輪が教えてくれた。

あまりにもチープな、ハートのモチーフ。
彼女が好きだと言ったピンク色の石。
こんなに可愛らしいデザインを買っていたんだ。
いま、何色が似合う大人になったのだろう。
もう二度と渡す機会などないと知りながら、くすんだ指輪と、褪せた日の他愛もない会話や約束を捨てられずにいる。

特別な意味もない文字での会話があって、画面の向こうにはきっと彼女がいた。
そんな日々が永遠に続くと信じていた。

もしこの東京のどこかですれ違っても、お互いきっと分かりはしないだろう。
ただ私がこうやってあの日々に思いを馳せるように、たまに彼女にも思い出す時があってほしいと願う。
未練がましいと思われるだろうか。
この指輪を捨てられる日など来ないだろう。
だってこれこそが、彼女に会いに行くねと約束し、旅をした証なのだから。
あのチャットが設置されていたゲーム攻略サイトは閉鎖されてしまった。

出会いはまるで、梅雨明け宣言のない雨季だ。
気づいたら始まっているのに、別れの挨拶もなくいつの間にか去っていく。
そしてまた何食わぬ顔で始まるのだ。

記憶の中で一枚の写真を手繰り寄せると、黒目の大きな女の子が、白くて長い指でVをつくって、こちらに向かってはにかんでいた。