振る舞い唐突ですが、皆さんに問いたい。SNSって、何のためにやっていますか?

私は、生粋のInstagramとFacebookユーザー。私がそもそも始めたきっかけは、単純に物理的に距離のある知人・友人の動向を知りたかったから。結婚や出産、はたまた仕事、他人がどのような人生を送っているか知ることは、自分の人生の刺激や励みにもなると思っていた。

しかし、最近自分の価値観とは合わない、面白くないと感じることが目につくようになってきたため、今回はそのことについて書きたい。というか……書くことで発散したいから、申し訳ないがお付き合い願いたいのです。

自分の定義で、役に立たないと看做す者を「ハッシュタグ付き」で罵る

最近、自分の好きな異性のタイプに「SNSに依存しない人」がランクインした。主人は、幸いそのタイプに該当する。SNSはやってはいるものの全然見なくても大丈夫だし、例えフォロワー数が少なくても何の気にも留めない。これほどの軽い気持ちで、当初私自身がSNSを利用していたからこそ、相手にも同等なものを求めているような気もする。

何故そのように思い始めたかというと、そのまま“SNS意識高い系男性”の投稿を見て、辟易し始めたから。私の大学時代の友達が、その意識高い系に当たる。起業や投資に興味を示し、彼なりの定義で社会に役に立たないと看做す者は、ハッシュタグ付きで「#勉強しない奴はクズ」だと罵る。そして、自分語りが多く、コメントで反論されようものなら論破しにかかる。

そういう者に限って投稿が多いから、頻繁に目に入るところに内容が上がってくる。ミュートやブロックをかけて見ない方法を取るのも一つだが、怖いもの見たさでつい見てしまう私も私である。

自分も同じ、“意識高い系”だと同調出来て楽しいかもしれないが、残念なことに自分は出来れば楽して生きたい“意識低い系”人間のため、彼と交わることはまずあり得ない。別世界に住む住人だと思ってしまっているから、なかなか彼の求める世界に馴染めない。

別に彼自身は悪い人ではないのだが、SNSはなるべく平和にのんびりと楽しみたい派である私にとったら、攻撃的な彼の投稿からはストレスを感じてしまうのだ。

「いいね」をもらうために、分別のない行動をする者が現れることも…

SNSに限らずだが、常に人の上に立ちたがる者は一定数存在する。その向上心は、時に褒められるべきことではあるが、その者の下に立たされた人間から見ると不快なことだってある。

ある日、カフェで食事をした写真を載せた時のことである。私が思う“マウント張りがちミーハー女性”から、素早くDMが届く。開いてみると大方予想はしていたが「そのお店どこ?今度行きたいから教えて」と探りを入れる内容だった。

一応返信すると案の定、数日後にそのカフェに行ってきたとの投稿。「私が開拓した、おすすめのお店見つけました!みんな行ってみて♡」その時は、先駆者を騙る彼女を見て、誰が教えたと思って……と苦笑いするしかなかった。

彼女の行為は意識的なのか、はたまた無意識なのか、確認するのは憚られるが、常に自分が一歩先に行っていないと満足出来ない属性であることは、日々の観察から感じられる。

SNSの弊害として、承認欲求が過剰に高まり「いいね!」をもらうために、分別のない行動をする者が若干数現れることがあると思う。自分を良く見せるために他者を利用したり、自分を偽ったりする行為は、本来の生活習慣とはかけ離れ、疲れないかと心配になる。インフルエンサーになりたい予備軍で、SNSは溢れていると感じる。

考えるとSNS上で、苦手なことがいくつもあることを思い知らされる

こちらも最近よく見る。可愛いらしいネコやクマに化けていたり、美白フェイスでキラキラ背景だったり。

それを10代女性がしていたら、年相応かも……とまだ許せるが、自分の中では20代後半の女性がしていたら、いよいよ厳しいのではないかとボーダーを引いてしまう。

それは、私が同じく20代後半であるからということもあるが、加工したものを載せるほど、自分の容姿にコンプレックスがあり、良くみせようとする深層心理がある気がして、その人の闇を見た気になってしまう。見てはいけないものを見たようにも思う。

むしろ、何気ない日常を切り取った背景だったり、ギャグセンスの高いイラストであったりする方があっけらかんとしていて私は好きだ。

ここまで書いていて、自分はSNS上で苦手なことがいくつもあることを思い知らされる。私の“苦手”はあくまで主観であるから、賛否両論あることはもちろんだが、日々さまざまな人とリアルで接するより、隠された胸の内が曝け出されるSNSは、ある意味興味深いかもしれない。

他人の動向確認のために軽い気持ちで始めたSNSであったのに、もしかすると私が今、一番SNSの沼にハマりかけているかもしれない。

ハマりすぎてこれ以上自分を見失わないために、私はホーム画面からインストールしていたアプリを削除した。何事もほどほどに。