5年働いていた職場を辞めて、もうすぐ1年になる。
今度は自分らしく過ごせる環境で、バリバリ働くんだ。そう意気込んで辞めたものの、現実はそう甘くなかった。

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辞めますと伝えた瞬間は解放感で胸がいっぱいだった。これからようやく自分のペースに合わせて、やりたい仕事ができる。病気になってしまったが、むしろこれをバネにして生きていくんだ。
そう思って春を迎えたものの、いざ無職になると一気に不安になった。これから体調は良くなっていくのか、そもそも私はどんな仕事がしたいのか、したいことが上手く続いていくのか……。

メンタルクリニックの主治医や夫に「働きたい」と相談しても、「もう少しゆっくりしたら?」と言われた。「どこにも属していない自分」は、社会に必要なのか?私は何のために存在しているのか?ひとり、部屋で思い詰めてさめざめと泣く日が続いた。明日何をするのかさえ見通せない今、未来なんて考えても意味ないと思っていた。
どうせ、何もできないのだから。

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そんな調子で、数か月は何をしていたか覚えていない。最低限の家事以外は、ひたすら動画サイト、SNS、スマホゲームを繰り返す日々だったように思う。人生の楽しみを見いだせずにいた。「何もしないことが休養だから」と言い聞かせていた。

そのうちやることがなくなって、気が付けば韓国アイドルの動画を観るようになっていた。
愛嬌たっぷりな様子から圧巻のライブパフォーマンスまで、幅広い表情を見せてくれる彼女たちに魅了されて、「いつか彼女たちのライブに行く」という未来への楽しみが生まれた。
また、ある日夫が突然「ゲーム買っていい?」と聞いてきた。普段物欲皆無な人が珍しいな、と思って快諾すると、その日のうちに買ってきたのはなんとなく聞き覚えのあるアクションRPGだった。
私も一緒にドはまりしていると、高校生時代の友達もファンだったと思い出した。数年ぶりに遊ぶことになって、終始ゲームの話で盛り上がった。

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人生がつまらなくて、何をするにも身体が重たかった日々。
それでも無理やり何かにしがみついていたら、本当に心身が壊れていたかもしれない。
当時は「何もしないことが休養だから」と半ば自分に言い聞かせていたけど、そうやって流れに身を任せていたから、自分の予想を超える場所へたどり着けたのかもしれない。
私は推しや趣味や、周りの人達のおかげで、新たに「未来」を楽しく描けるようになってきた。

とはいえ、昔考えていた不安が解消されたわけではない。また明日にはへこんで泣いているかもしれないし、もうどうなってもいいと自暴自棄になっているかもしれないけど。先にネガティブなことをイメージして、くよくよしたって何も始まらないのだ。

未来は誰にとっても不確定で、曖昧で、だからこそどんな捉え方だってできる。明日、もしかしたら美容師になろうと思うかもしれないし、近くのパン屋で働く気になるかもしれない。私はいつだって、何者にもなれる。そう思うとわくわくしてきた。

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ゲームの話で盛り上がった友達と再会した後、「あの人にも連絡取りたいな」と浮かぶ顔がいくつもあって、「よかったら会わない?」といろんな人に声をかけた。

数年ぶりの友人たちは、結婚を機にパートに切り替えた人も、バリバリ稼いでその分推しに費やしている人も、好きなときだけ働いているという人もいた。皆それぞれの道を進んでいて、働いていないから……と自分を責めていた私がばからしく思えた。
今は、少しずつ社会復帰に向けた準備を始めている。昔描いていた未来とはちがうものになりそうだけど、きっと私らしくいられる場所にたどり着けるはずだ。