先日、「数年後、またここに戻ってきたら万里さんとお話しがしたい」と言われた。
とても衝撃的な一言に、私は動揺した。だって、その人は9か月前には「死にたい」と繰り返し、毎日が辛くて仕方がないといった女性だったから。
そんな彼女が、未来の話を前向きに考えていると思ったら、たまらなかった。

◎          ◎

私たちはとあるきっかけで出会い、月に1回程度、とても深い話をしていた。
私は人の深い話を聴くことが好きだったし、彼女も聞いてくれる人を求めていた。運命のようにめぐりあった私たちは、月に1回1時間から2時間の会話を続けた。

初め彼女は「死にたい」と俯き、そして泣いていた。
死にたい理由は様々あったが、彼女が過去から今までずっと辛い人生を送ってきたことは伝わった。だから私も覚悟をして聞いた。

途中、「『過去のことをいつまでも気にして腹を立てていては、自分を大切にできない。相手をゆるすことで自分をゆるすことができる』と言われたのだ、どう思う」と問われたこともあった。私は「自論で大変恐縮だけれど、」と前置きをして、許せない気持ちを大切にすることも自分を大切にしているのではと問うた。

◎          ◎

彼女は人に辛いことをされた、それはもう10年以上前のことだった。だから周りの人からは「そろそろ許してあげたら」となるのだろうが、そうしたら彼女の気持ちはどこにいってしまうのだろう。私は素朴にそう思い、「許せないものは許せなくていい。

ただ、もし復讐という形で“行動”をするなら慎重になってほしい。そんなクソみたいな人間のために、あなたが傷つくことになってしまうかもしれないから」と伝えた。どれくらい伝わったか分からなかったが、彼女は10分ほどずっと泣いていた。

それから、何度目かの話のときに「海外にいくことになった」と彼女はいった。
何やら海外転勤が決まったようだった。前から話はあったものの、具体的な日にちが出たということで私にもそれを伝えてくれた。
月に1回と考えたら、あと4、5回しか話が聴けないことがわかった。話す回数を増やす提案もしようかとよぎったが、なんとなくそれはできなかった。そして彼女からもその提案はされなかった。

◎          ◎

深い話を繰り返していた私たちは、少しずつ日常の会話もするようになった。
昨日バーで出会った男性のこと、最近みたアニメの話、部屋が散らかって仕方がないこと。深い話ももちろん楽しかったが、彼女の笑顔が増えていったことが何よりも嬉しかった。
そして、最終日。フライトの1週間前に時間をとってくれた彼女は、いつものように談笑をしてくれた。とても楽しかった。私は気付かぬうちに彼女との会話を楽しみにしていたことを愚かにも最後になってわかった。
いつもと同じように話をして、そろそろお開きにしようかと思ったとき、彼女から冒頭の言葉を言われた。

社交辞令だったかもしれない。けれど、死にたかった彼女から、未来の言葉がでてきたことがたまらなくて。私は初めて、目頭を熱くした。
私は丁寧に「数年後、世界も私たちもどうなっているかわからないけれど、どこかでめぐり合うことができたら、とても幸せだ」と伝えた。

◎          ◎

私の精一杯の気持ちだった。そしてはたと気付いたのだ。私は彼女のように「未来」について考えたことがあっただろうか、と。
良くも悪くも、今が良ければと考える節があり、刹那的なんて言われることは自覚していた。そしてそれを全く悪いと思っていなかった。

確かに悪くはないのだろう。けれど、彼女から「数年後」という単語が出てきて、未来を見る彼女の視線を感じて、私は立ち止まりながら、少しだけ背筋を伸ばして「未来」について考えていこうかと思うようになった。

まだこれから考え始める私の未来がどうなるのか、わからない。けれど、どのような世界の中でも、未来を見つめる後押しをしてくれた彼女に出会う場面を想像すれば、足を進めることができる気がしている。