「最近、未来のことばっかり考えている気がする」

ついこの前、私の旦那さんになったばかりの彼が言った。
彼は試験を控えていて、それに対して焦りを感じているようだ。今を生きていないようであるとも言っていた。

「今に向き合うのが怖い」と正直に言える彼を、私は尊敬する。私も彼と同様に、今に向き合うのが怖いからだ。
今、正直自分の社会的なステータスについて、満足してはいない。そういう自分に向き合うのはなかなかに重労働だ。
ただ、私は今に向き合うこともそうだが、輝かしい未来も想像できていないような気がする。でも願わなければ叶わないから、この機会に考えてみたい。

◎          ◎

私はとにかく、人から意見を求められるような存在になりたい。私は私の考え方に自信があるし、他の人が考えていることを知るのも楽しい。会社に所属せず、そんな人として暮らしていけたら、やっと一人前になれる気がする。
ただ具体的な手段として、1年後、自分が何してるかは全くわからない。
それは、1年前の自分が今の自分のことを想像できたかというと全くそうではないのと同じ。
自分のコントロール出来ない、環境や状況が多すぎるからだ。

ここまで考えてみて、人の悩みは2種類あると、私の心理の先生が言っていたことを思い出した。
1つ目はできるはずのことができないこと、あがり症や告白する時に言葉が出てこないなど、しゃべることが普段できる人が、特定のシチュエーションになるとできなくなるようなパターン。
2つ目は、できないはずのことをできると思い込んでいるということ。

私たちは、空が飛べないと思い悩んだりはしない。明らかに不可能だからだ。でも、自分のコントロール出来ることと出来ないことを混同して、コントロール出来ないはずのことを、”意識”するだけでどうにか出来るのではないかと思い上がってしまうことがある。私はまさに2つ目だと気づいた。

◎          ◎

私たちは時に因果関係を信じすぎる。コントロール出来るようで、周りの環境や状況はコントロールできないことがほとんどなのではないか。
正直、早く自分の満足する自分になりたいという気持ちはとても、とても強い。
しかしそう考えると、今この目標について考えるのは無意味なのだと思う。

では、もっと先のことはどうだろうか。親が亡くなるとき、パートナーや自分の亡くなるときだ。
想像するだけで涙が出る。親はやっぱり看取ってあげたいし、パートナーには自分より長生きしてほしい。そう考えると、今、この一緒に過ごすことができる時間は有限で、ものすごく尊いものに思えてくる。
「今に向き合わないといけない」と思うよりも、「限りある今をじっくり味わっていきたい」と思う方がよっぽど気が楽だし、それこそ死に直面した時に残るものが多い気がする。

社会的ステータスには満足していなくても、家族や彼との楽しい思い出はたくさんあるし、現在進行形で作っている。
そんな風に今の良い所も悪い所も、今しか味わえないそんな気持ちを全部しっかり味わっていきたい。未来に想いを馳せていると、そんな気持ちになれた。

◎          ◎

最近、なんとなく思うことがある。私たちの人生にはすごく綿密な設計図みたいなものがあって、全てはうまく行っているはずなのではないかと。
もちろんその時々で「なんでこんなことが」と思うことばっかりだし、人生や自分に絶望することも何度もある。それでも、本当にどうしようもない時には助け舟はあったし、今までの大変な出来事が今の自分を作っている。

だから、コントロールできない未来の出来事、目標、社会的な結果は今は手放して、今は、今の私が満たされて、楽しく笑顔でいられること、目の前の彼がしあわせでいることを大事にしていくのが一番良いことだと、心から思う。
その先で、今よりずっと自由で、気持ちよくて、楽しい人生を作っていくことができると確信している

それだけは未来の私に保証したい。