コロナによって私たちの取り巻く環境は変化し、かつてのライフスタイルの面影もないほど大きく変わった、変えざるを得なかった。我慢することもたくさんあった。けれどその中でできることを見出し、新しいものを手に入れてきた。
「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」
マリーアントワネットの言葉を僭越ながらもじらせていただけるならば、「手に入らないなら、自分で創り出せばいいじゃない」
私と、私の母がコロナを経て手に入れた価値観だ。

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「もう、スタバなんて何ヶ月も行ってないわ〜」
「スタバ行くなんてもってのほかじゃん?スーパー行くのもやっとなのに」
「そんなことしたら怒られるよね」
「間違いない」
「あ〜、チョコのスコーン食べたい」
「お母さんあれ大好きだもんね」
「お母さんは欲してるのよ、あのチョコスコーン」

テレビ電話越しにため息をつく私たちを、ソファで父は苦笑いして見つめる。
自宅待機が当たり前のように実施され、買い物なんてスーパーに行くくらいだったコロナ真っ只の頃、私たちは毎日のようにこんな話をしていた。

私も生粋のスタバ信者ではあるが、私の両親、特に母もスタバ大好き人間だった。カフェラテとチョコレートチャンクスコーンを共に食するのが好きで、スタバに訪れる度にそのセットを購入しては嬉しそうに食べていた。

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そんな時に突如として訪れたパンデミック。
趣味を多く持っている母は、自宅でもできる楽しみを模索しながら、父と共にコロナ禍を楽しく生きていた。それでも時々、スタバに行きたいと嘆く母をどうにかしたいと思った。
そして行き着いた先が、「家をスタバにしよう」作戦だった。

コロナが落ち着いたタイミングを見計らって、実家へと帰省した際、仕事の母が帰ってくるまでの間にYouTube等で見つけた再現レシピを使ってスコーンを焼き、スタバで買ってきたフォームミルク作成キットを使ってふわふわのミルクが乗ったカフェラテを作った。
もちろんスタバのカップに準備するのが鉄則だ。
車の音が聞こえたら、YouTubeのスタバで流れているBGMを再生し準備完了。
あとはお客様がいらっしゃるだけ。

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「ええ〜何これ〜!」
リビングの扉を開けるなり喜ぶ母の目の前には、心地よい母だけのスターバックス。手を洗い席についた母の嬉しそうな顔が今でも鮮明に思い出される。もちろん、その後帰ってきた父も一緒に3人で改めて自宅スタバを楽しんだ。ないなら自分で作ればいい、制限された世の中でもできることはある。私たちはいつだって楽しみや幸せを自分たちで創り出せるのだと知った。

「お母さんまた焼いたの?」
「今日は加水率80%にしてみたの。どう?」
「クープ綺麗に開いてるね。もうお店のやつじゃん」
「バター乗せて食べると美味いぞ」
「お父さん、バター乗せすぎじゃない?」

母の焼いたフランスパンを頬張る父の後ろで、焼きたてのフランスパンを見せる母。添加物の入っていないフランスパンはシンプルで、パンが得意ではない父も好んで食べているというのがビデオ越しでもよく伝わった。

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自宅スタバ作戦以降、母の趣味に、これまで作ったことのない物でも自分の食べたい物を作るというものが追加されたようで、最近のブームはフランスパンらしい。様々なやり方でフランスパンを作る母は楽しそうで、そんな母に父も嬉しそうだ。一見お店でしか作ることが難しいものでも自宅で作ることができる喜びを見出してからは、なんでも自宅で作るようになったという。

たまに、お店のものを食べては自身の料理の参考にしているというのだから、その探究心には心底驚かされる。

「今度帰ってきた時は、睡蓮にも食べさせるからね〜」
「ありがとう〜」

制限されている中でも工夫次第では幸せを手に入れることができる。
思考し、創り出すことのできる人間だからこそ可能な、人間らしい出来事だった。