私が高校生の頃のお昼ご飯は、いつも母の手作りのお弁当だった。おかずのラインナップは日々変わるが、その中でも登場回数が圧倒的に多かったのは卵焼きだった。
母の卵焼きは、中にひじきが入っていたり、ホウレンソウが入っていたり、毎回バラエティに富んでいた。
でも、実のところ私は、この卵焼きがあまり好きではなかった。お弁当のおかずの中では目立つような存在ではなかったし、食べ盛りの高校生としては、生姜焼きや親子丼の日の方が、たまらなく嬉しかった。

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それから何年か経ち、社会人になった私は、自分でお弁当を作るようになった。

自分でお弁当を作ることで知る、空白を埋めることの難しさと、綺麗な彩りにすることの難しさ。
それに、母のお弁当には冷凍食品があまり入っていなかったが、私が作るお弁当は冷凍食品だらけだった。前日の晩御飯の残りに、冷凍食品のおかずを凍ったまま入れて、なんとなくプチトマトを入れてみる。これが私のお弁当のルーティーンだった。

自分で作って持っていくお弁当は、蓋を開けても楽しくなかった。自分で作ってつめたものだから、中身を知ってしまっているし、いつしか固定されてしまったおかずのメンバーがぎゅうぎゅうに詰められているだけだからだ。

そんな時、ふと思いついて、卵焼きを作ってみることにした。

丸いフライパンで作る卵焼きは不格好だったし、焼き加減が案外難しくて、中はトロトロ、外はカリカリの不思議な食感になってしまった。卵を焼いただけで、あまりおいしくない料理ができることを初めて知った。

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それから何度か卵焼きを練習して、途中お弁当を作れない期間も挟んで、私は2年くらい前にようやく綺麗な卵焼きを作ることができるようになった。
その年は、ちょうど弟が東京で大学受験をする年だった。実家で待つ両親に代わって、すでに上京していた兄と私で弟の世話をした。
その中で、お弁当を作るのが私の役割だった。
今まで頑張ってきた弟の努力が報われることを祈って、気合を入れ、早起きして台所に立った。いつかのテレビで放送されていた、脳を働かせるためには香辛料が良いという情報を信じ、鶏肉のカレー粉炒めと、ホウレンソウのお浸し、プチトマトと卵焼きを作った。
黄色く綺麗な卵焼きを作ることができた。
せっかくなので兄の分のお弁当もタッパーに詰めると、私の役割は終わった。

これを食べる時、弟も、おそらく兄も、なんとも思わないんだろうな、と思った。高校生の頃の私のように、この卵焼きにどれだけの時間が割かれているか、意外と高度なお弁当のわき役の存在を、二人は知らずに食べるんだろうなと想像して、少し笑みがこぼれる。
お弁当のわき役に隠された密かな苦労を、母と私だけで共有しているような気がした。

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いつか兄も弟も、大切な誰かのためにお弁当を作る機会があるかもしれない。そんな時、母が作ってくれた卵焼きや、私があの日に作った卵焼きの存在を少しでも思い出してくれたらいいなあと思う。
その時になって初めて、お弁当のわき役に秘められた深い愛を共有することができると信じている。私がそうであったように。