好きだった。大好きだった。もうそれはずっと、物心つく前から。愛していた、という言葉の方が近いかもしれない。数ある(ネタ)の中でも、それしか目に入らないほど。

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かっこ内を読んでうん?と思った方もいるかもしれない。「好きだから 好きだけど」というテーマで、今回私の恋愛遍歴や恋愛観を期待した方は申し訳ない。残念、今回はイクラの話だ。だから冒頭の文は、このように補足を入れるといいかもしれない。

好きだった(イクラが)。大好きだった(イクラが)。もうそれはずっと、物心つく前から。(イクラを)愛していた、という言葉の方が近いかもしれない。数ある((寿司)ネタ)の中でも、それしか目に入らないほど。

私が28年間愛してやまないイクラ。大人になって自分で稼ぐようになったら、腹いっぱいはちきれるほど食べてやる!そう思っていた。

そこまで思い続けてきた好物を、大人になった私は今しばらく食べていない。それはなぜか。色気のない話だが、今日は私といくらの28年について、おもむくままに綴っていこうと思う。

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物心ついた頃には、私はイクラの大ファンだった。しかし、皆さまも知っての通りイクラは高い。そりゃもうべらぼうに高い。平均的な中流家庭における我が家において、イクラは毎日食卓に上がるようなものではなかった。

しかし、幼い私は、イクラの価格と我が家の経済状況を考慮することはできない。あまりわがままを言わなかった(はずの)幼き私が唯一自分勝手になる場所。それがスーパーの鮮魚コーナーだった。

母が買い物袋を片手に幼い私に声をかける。
「まよ、スーパーに買い物に行く?」
大好きな母と出かけること自体にハッピー、そして母とスーパーに行くことでもしかしたらヤツをおねだりできるかも……と期待する私は返事をする前に、玄関に向かいすでに靴を履き始めている。スーパーに入りカゴを持つと、母は勢いよくカゴに野菜を入れていく。

野菜コーナーを終え、乳製品コーナーを巡り、段々例のコーナーへ近づいてくる。鮮魚コーナーだ。

鮮魚コーナーの赤い宝石のコーナーへ行き、パックを手に取り、母の目の前に持っていく。
「ねえお母さん、イクラ」
「ダメ、誕生日でもないのに」
私の主張第一弾は「イクラ買って」の全文を言う前に却下された。でも私はあきらめない。第二弾を試みる。

「今日が誕生日でいいから!私、今日が誕生日!!!」
好きな物に目をくらんだ子どもの主張は、意味不明だが勢いは強い。母も少し気圧されたかのような顔をみせる。いこう、この路線に我が勝機あり!
「おねがい~!食べたいよ~。今日が誕生日でいいから~!」
母は振り払うかのように首を振り、少し困った笑顔をしながら、こう言って最後の望みを断ち切った。
「ごめんねまよ、毎回買ってたら破産しちゃうよ」

The END.

切り替えの早い母はすでにお肉コーナーへと足を向けた。破産と言われたら引き下がるしかない。ふくれっ面の私も母の後を追う。

今考えれば、娘の大好物を毎回断らなければいかない母もつらかったろう。でも破産しないため、私が実家でイクラを食べられるのは、誕生日とお正月の年2回が関の山だった。

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その私が報われる日が、祖母・祖父宅へ遊びに行ったときだった。祖母と祖父は孫が遊びに来ることを何よりも楽しみにしていて、訪れる度にそれぞれの好物を用意してくれていた。

「まよ来るって聞いたから、ほらイクラ用意したよ~」と祖母が満面の笑みでイクラのパックを冷蔵庫から取り出す。つやつやと光り輝き、独特の照りがある。しかも私の好きな塩漬けいくらだ。ここには私のイクラ占有を強奪しようとするライバル(父)もいない。

白いご飯の上に赤い宝石のイクラのコントラスト。美しい。一口含むと、ご飯の甘さにイクラのあまじょっぱさがプチプチと広がる。味とともに全身を駆け巡る幸福感。彦摩呂が言わなくても、私が言おう。これこそ「味の宝石箱や~」と。
無心になってご飯とイクラに没頭する私を見て、祖母は「まよは本当に幸せそうに食べるねえ」と満足そうだった。

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幼き私は中流家庭のクセに高望みをして、大きな夢を抱いた。「毎食お腹いっぱいイクラを食べられるようになるぞ」と。

しかし大人になるにつれて、その夢を微修正することとなった。それは「何歳になっても、いくらを美味しく楽しんで食べ続けられるようにしたい」というものだった。この微修正にはきっかけがある。

5年程前、誕生日に彼氏(まよの彼氏なので「ケチャップ」としよう)に居酒屋に連れていってもらったことがある。

ケチャップの顔面のデフォルトは常に笑顔の恵比須様だが、それにしても今日はいつも以上ににやけが過ぎる。何か企んでるな、こいつ、そう思った。「まよ喜びすぎて死んじゃうかも」。そんな不吉なことまで漏らしている。

にやけの正体はご飯の終盤に判明した。それまでのメニューでお腹の八分ほどいっぱいになっている中、店員さんが白米のどんぶりをドン!と机に置き、イクラがめいっぱい入ったボウルを持ってきた。そして「お客様がストップ!と言われるまでかけ続けますからね~」という最高すぎる(その瞬間の私には)一言を放ち、どんぶりにイクラを注ぎ始めたのだ。

それまで見たことがないイクラの量の単位に幸せ過ぎて、欲張りパニックになった私は、ボウルの中身がなくなるまでストップをかけなかった。そして、多分これを読んでいる皆さま全員が想定しているように、最終的にそのイクラマシマシ丼を食べ終わるころには、胸やけしてしまったのだ。

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大好物で胸やけする、大好物に飽きかけるほど、悲しく怖いものはない。そのことを学んだ私は、これから先いくつになっても「大好物はいくらです」と答えられるよう、好きだからこそ、イクラを節制していこうと誓ったのだ。サステナブルイクラ人生、SDGsイクラ人生。

そんなこんなで大人になった私もサステナブルイクラ人生を掲げたことで、破産せずに至っている。同じ魚卵で言うと、キャビアを食べたことがないのだが、もしハマったら、それこそ破産しそうで怖い。スーパーの鮮魚コーナーに置かれないことを祈るのみである。