私の友人は「与える人」だ。利益や損得を考えず、ただただ人に与える。物であったり、心であったり。
私も何かを返したい。だけどもらいすぎていて、生きているうちに返しきれるかわからない。どうしたら彼女がくれたものと同じものを返せるのかもわからない。そうして悩んでるうちに彼女はまた私にくれるのだ。惜しげもなく。愛とか想いとか期待とか、欲しくて欲しくてたまらない、私にはもったいないくらい綺麗に光ってる、溢れんばかりのそれらを。

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20年来の友人。そんなものができるなんて、小学生の私には想像もつかなかっただろう。今でもなお、幼馴染とは言わない。これはきっと私たちの意地のようなものだ。なるべくしてなった偶然の関係ではなく、こいつを友達にすると決めて築いた関係。お互いが選んで、望んだ関係。親友と呼ぶには気恥ずかしくて、家族と呼ぶには遠い。ちょうどいい距離感の親戚。私たちはそんな関係。

会わない期間なんていくらでもある。1年に2回会えれば良い方だ。恋愛の相談はめったにしないし、2人きりで旅行に行ったことなんて一度もない。それでもこの関係が途切れることはない。これから先、きっとないと断言できる。

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彼女が私にくれたもの。
ブランド物の口紅。
流行りのフェイスパウダー。
家から逃げたいときの脱出手段。
味方だと示してくれる居場所。
「シャチがやりたいことをやっていいんだよ」という言葉。

たくさんたくさんもらって、その度にたくさんたくさん助けられた。一度、どうして私にそこまでしてくれるのか聞いたことがある。不思議そうにして、その後笑って彼女は言った。
「別に大したことしてないから」

彼女が言う、「大したことない」に私は何度も助けられた。
逃げたいときにはどこまでも連れてってくれて、自信がないときは励ましの言葉をくれて、泣きたいときには静かに隣にいてくれて。彼女がいてくれたから、今の私はここにいる。

彼女は昔から私の憧れだった。忙しい両親に代わって広い一軒家の家事を全部切り盛りして、お弁当は自分で作って、私と同じ学校に行く。同い年とは信じられないほど、自立した人だった。私に無いものをすべて持ってる人だ。
それを言うと、彼女も同じことを言ってくれる。
「私はシャチのほうがすごいと思うけどなぁ」
だからこそ私たちは今でも一緒にいるのかもしれない。

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出会った頃から着実に年を重ねて、喧嘩も仲直りもしてきた私たち。高校も、その先の進路も、今では住んでる県ですら違う私たち。20年はあっという間だった。

きっとそんな年月が短く感じるくらい、これから先も一緒にいるのだろう。
何か重要な決断をするとき、将来を決める試験があるとき、未来が見えなくて苦しいとき、私は必ず彼女にもらった口紅を握りしめる。負けないように。自分らしくいられるように。

私の友人は「与える人」だ。20年間、彼女はただひたすらに私に与え続けてくれた。今度は私が与える番だ。
今が転換点。遅すぎる転換点。もらったものをそれ以上に。私の大切な友人に、たくさんの感謝と愛を込めて。

ひとまず次の帰省のとき、彼女が好きなコスメでも買って行こう。いつもありがとう。これからもよろしくね。
こんな言葉も添えられたら、私も「与える人」になれるだろうか。