A子と出会ったのは、中学校の入学式だった。

私たちが入学した中学校は、基本的には幼稚園から高校までエスカレーター式の一貫校で、入学式の日、教室で隣の席だったA子は、併設の幼稚園と小学校を卒業していた。そのためか、既に友達が沢山いるようだった。

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石原さとみと沢尻エリカを足して2で割ったような顔立ちで、華やかさがあり、それでいて、天然で明るい性格ゆえのいじられキャラ。

一方で、隣に座る私は併設小学校の出身でもなければ、地味で目立たないタイプなので、私とA子は正反対。けれど、A子は私に「こっちで一緒に話そうよ」と声をかけてくれた。

当時、捻くれた性格をしていた私は、リアクションこそそっけなかったはずだが、A子たちの会話に参加した。結局、その輪の中には私はうまく溶け込めず、どこのグループにも属さない、いわゆる「ぼっち」として学校生活を送ることを選んだ。

そして、特に良い思い出もないけれど、悪い思い出もなく6年間が過ぎ、高校を卒業した。特にやりたいこともなかった私は、とりあえず食いっぱぐれないようにと、看護の道に進むことにした。

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第一志望から第三志望までの大学に落ち、なんとか受かった第四志望の大学の入学式。なんと私は、そこでA子と再会した。それも、また隣同士の席で。そして、またA子から話しかけてくれた。

今度はお互いに知らない人の中にいる状況ということもあり、再会したその日から、私たちは急激に仲良くなった。教室移動も、放課後や休日のアルバイトも一緒にしたし、学校から帰るバスの中でも一緒に過ごした。

A子と仲良くなれて、楽しい大学生活を送っていたのだが、私は時々A子に対して嫌悪感を抱くようになった。

誰とでもすぐ仲良くなれて、困っていたらすぐ誰かに助けてもらえて、周りを振り回しても笑って許されるA子。気付けば、私はA子のことを「すぐ人に頼る子」「自分で頑張らないズルい子」と嫌悪しつつ、それでもずっとA子と仲良くしていた。

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今思うと、A子の人望が、喉から手が出るほど羨ましくて羨ましくて、ただ嫉妬していただけだったのだが、そんな自分の嫉妬心を認めたくなかったのだと思う。

そして、認めたくない嫉妬心と同じくらい、誰かにA子を取られたくない気持ちも。この嫉妬心や独占欲に気が付いたのは、大学を卒業し、長い時間が過ぎ、コロナが流行したのを機に会わなくなってからである。

人と会うことが減ったこの数年、ゆっくりと自分の内側に向き合うことができた。そんな中で気づいたのは、私がA子に期待し過ぎていたこと、自分とは正反対のA子に自分の気持ちを分かって欲しいと思っていたこと、友達が多くて人気者のA子が羨ましかったこと、私はA子のいちばんの友達になりたいと思っていたこと。……こんなに大好きな友達がいるなんて、とても幸せじゃないか。

今年はまた、以前のように、誰かと笑い合いながら食事をしたり、一緒に出かけたりしやすい世の中になるだろう。もう少し暖かくなったら、A子をランチにでも誘おうと思う。