彼女との出会いは、文学サークルでのことだった。
そのサークルは緩く、活動も1ヶ月に一度もないようなところであった。彼女は毎回顔を出すコアメンではなかったが、数ヶ月に一度は顔を出すいつメンというところで、初めて彼女に会ったのは、私が入会してから数ヶ月が経った頃だった。
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話には聞いていたが、背が高く、流行に左右されずに少し大人びた高価なものを身につけ、近寄りがたい雰囲気もあった。そして驚いたのは、なんといってもその容姿だった。
彼女は本当に美人であった。文化祭では見知らぬ男に声をかけられ、SNSに投稿した写真にはべっぴんさんというコメントが付いた。しかし自覚はないようで、男が声をかけてきたときも誰のことだろうというような表情をしていた。
文学を趣味とし、異性に気を寄せられるも上手く読み取ることのできないその姿は、どこか浮世離れした雰囲気があり、こっちも遠慮してしまう。心優しく、周囲の人に対して敬意を払うこともあれば気を配ることもある。そしてなにより楽しそうに、幸せそうに話すそぶりは、恵まれた家庭で注がれた愛を感じさせるものがあった。
その初心な振る舞いは周囲をなめきった上でのことなのかと、当初は疑いの目すら持ってしまった。けれども親交を深めれば深めるほどに、彼女の振る舞いは本物であることが分かった。
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そのサークルには、先輩に対して堂々と物を申す同期がおり、みな彼が話すと一人の先輩を除いて何も話せなくなってしまうのだが、彼女はそんなそぶりも見せずに「○○くんって優しくていい子だよね」と、言うのだった。
その発言には鳥肌が立ったが、周囲の切迫した空気も感じ取れないほどに彼女はお人好しだった。彼女は地方の出身だったが、地元の公立中学校でやっていけたのだろうかと少し心配にもなった。
そんな彼女が苦労人だと知ったのは、出会って2回目のことだった。
彼女は私立の女子大学に在籍していたが、実は2浪しているという。聞くところによると、将来は日本語学の研究者を目指しているが、日本文学にも関心があり、高校在学中から進路を深く考え、浪人中も自分のやりたいことをじっくり考えつつ色々な人の所へ話を聞きに行っていたという。
そこで彼女の出した答えは、学部在学中は日本文学のゼミに入り、卒業後は日本語教師として教壇に立ち、その後母校の大学院に戻るということだった。
彼女は大学卒業と同時に結婚し、修士2年の時は日本語教師と修論と家事との3足のわらじを履いていた。自分の研究で精一杯だった私とは大違いだ。
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そんな彼女は、私に大きな2つのことを教えてくれた。
一つは、人を疑わなくて良いということ。彼女は、その洗練された近寄りがたい雰囲気から、当初は見下しているのかと思っていた。しかしそんなことはなく純粋無垢で、表裏のない優しい子であった。
二つ目は、人生悩んだ分だけ実るということ。彼女は学生の大半が現役で入学する中2年間のブランクを要したが、その分誰よりも勉強家で、自身の研究によって人生を実りあるものにしている。大半の文系学生が偏差値や住んでいる地域で選ぶところを、じっくりと考慮した上で進学した分、それを将来に結びつけることができている。
私自身、高校在学中は随分と進路選択に悩んだが、高等教育機関に適応し長く学生生活を満喫することができた。学部生時代に教育社会学の基礎を固め、院生時代に自分のやりたい研究に着手したことも彼女と人生が似ている。公立中学在学中、私は好む文化の違いから周囲に上手く馴染めなかったが、ふと彼女も同じ思いをしていたのではないかと思った。
そんなことを投げかけたら「私は運転免許もないし~」と、これまた共通点が返ってきた。出身地や大学こそ違うが、私たちは会うべくして会ったのかもしれないと思っている。
才色兼備な彼女と一緒になるのは申し訳ない気もするのだが、少なくとも友人でいてくれている分、気を引くことはない。
会うべくして会った彼女は、私の推したい友人だ。