育児と仕事の両立。言葉にするのは簡単だが、実現は相当に難しい。
昨年9月、待望の第一子を出産した。寝食も後回しで子どもの面倒をみる日々に疲労感を覚えつつも、めまぐるしく成長する姿を目の当たりにすると、言葉にできない喜びがこみ上げ、心が満たされる。
結婚前は、典型的な仕事人間だった。憧れていたライターとして働けるだけで幸せを感じていた。休日はいらない。自由に使える時間は、経験値を上げる何かに費やしたいと奔走していた。
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仕事以外の趣味はなく、恋愛からも遠ざかっていた干物女子が突如、家庭を持つと決めたのは、20代後半にさしかかった頃。仕事に人生を捧げ続けていると、自分がすり減っていく感覚を覚え始めていた。何より、自分ではなく、大切な誰かのために生きたくなった。将来を見据え、遊ばず勉強かアルバイトしかしていなかった学生時代の私を知る家族や旧友は、結婚を報告すると相当驚いていた。
いちどは方向転換したものの、気質は変わらなかった。
「早く職場に復帰したい」
休職して半年がたった頃、ふつふつと湧き上がってきた。
復職には、いくつもの障壁があった。新幹線を利用して2時間近くかけ、隣県にある職場まで通う。保育園の迎えに遅れないよう業務を終わらせ、帰宅したら子どもと食事、お風呂を済ませて寝かしつけ、家事をこなす。帰りが23時近くになる旦那はあてにならず、ほぼワンオペでこなさなければならない。転勤族で、身近に頼れる親族もいない。どんなに疲れていても、ひとりでやらなければならない。
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体力には自信がある。仕事も育児も完璧にこなす、できるママになってやる。奮起して保活に挑んだ。
入園先が決まった喜びもつかの間、不安がどっと押し寄せた。働く時間が限られている中で、どれだけのパフォーマンスができるだろうか。できない分は、誰かに負担をかけてしまう。何より、娘に寂しい思いをさせたり、八つ当たりしてしまったりしてしまうのではないか。それでなくても、初めての育児で毎日頭を抱えているのに。
考えるほど、現実的ではないと突きつけられた。
メディアではしばしば、働く母のモデル像が紹介されている。女性の社会進出、地位向上を後押ししているのだろうが、よほどのスーパーマンでなければ不可能ではないだろうか。完璧主義の私は、その姿に憧れのまなざしを向けていたが、いざ同じ立場になってみると、幻想を押し付けられているように思えてきた。
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悩んだ末、私は決意した。理想を捨てよう。世間で称賛されている、あれもこれも上手くこなす女性にはなれない。家庭を守りながら働き続けるためには、すべてを完璧にやろうとしない。合言葉は“まあ、いいか”。これまで、最も嫌っていた妥協を許し、やれるだけやる。不思議と、身が軽くなった。
そんな矢先、幸運にも今春、旦那が私の職場がある市町への転勤が決まった。新天地で保育園を探さなければならず復帰は先延ばしになったが、難題がひとつ解消された。運が味方してくれた。「前に進みなさい」。背中を押されている気がした。
女性には、キャリアが閉ざされる局面が度々やってくる。環境の変化に対応する柔軟性も必要だが、譲れない気持ちは簡単に手放してはいけないと確信した。ピンチと同じように、チャンスも必ずやってくる。思い描いていた未来とは程遠くても、何も手に入れられないわけじゃない。自分の人生を諦めなければ、いつだって何度だって、スタートできるのだ。