中高一貫の女子校に通っていた私は、中2の時出席番号が前後だったKちゃんと仲良くなった。彼女とは部活も違えば同じクラスになったのも一度きりで、それぞれ違う大学へ進学したが、社会人3年目になった今でもよく会う仲だ。彼女はおっとりした話し方をするし、洋服の好みやメイクも可愛らしく、敢えて分類するならいわゆる“守ってあげたくなる系女子”に相当するだろう。

しかし、彼女はただかわいいだけではない。内に秘めた芯の強さや逞しく世を渡っていく賢さを兼ね備えている。また、哲学科を卒業しているだけあって色々なことをよく考えており、少し斜に構えがちな面がありつつも、彼女と話しているといつも大切なことに気づかされるのだ。では、私がそんなKちゃんのファンになったきっかけについて話したいと思う。

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時は中2まで遡る。クラス替えの直後、出席番号が近い人たちでお弁当を食べていた成り行きで、Kちゃんを含む6~7人の女子たちと行動を共にすることになった。そのグループは偶然ダンス部やらバスケ部といったザ・一軍女子が集まっており、華やかな雰囲気で良くも悪くもクラスで目立っていた。

そんななかKちゃんはひとり科学部に所属し、本好きで休み時間にたまに一人で読書をしたりと、どことなく他の人たちとは毛色が違っていた。しかし、だからといって浮いている感じは全くなく、流行りのドラマやアイドルの話題で盛り上がり、悪ノリにも適度に付き合っていた。でも、人の悪口に乗っかることは決してなかった。

一方の私は、素直なのか不器用なのか、適当に話題を合わせたり、イジリに乗っかったりするのも下手くそで、とにかく嫌われないよう必死に愛想笑いしていた。当然ひとりになる勇気も覚悟もなく、居心地が悪くてもなんとかしがみつくしかなかった。それに、少なくともKちゃんと二人で話す時は楽しかったし、彼女がそのグループに居ることだけがせめてもの救いだった。

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そしてモヤモヤを抱えながら過ごすこと数か月後、幸か不幸か私はグループのリーダー格女子に目を付けられ、ハブられる形であっけなく追い出されることになった。今となっては切れるべき縁が切れただけだと割り切れるが、思春期の私にとってはこの世の終わりと言わんばかりの絶望だった。

思春期の女子たち(場合によっては思春期に限らず何歳になっても、かもしれないが)は仲良しグループを作りたがり、そこに属することで己のアイデンティティを認識し、セーフティーネットを構築する。居心地が良かろうと悪かろうと、体裁上どこかに属さないと単独行動する“訳アリ”認定されてしまうのだ。そして、一度グループを抜けた人間とはその後極力関わらないのが暗黙の了解だったため、せっかく心を開いていたKちゃんとこれっきりになってしまうことが何よりも悲しかった。
しかし、Kちゃんとはこれっきりにはならなかった。私がグループを追い出されても彼女との関係性は変わらなかったのだ。その後他のメンバーからは一切話しかけられなかったが、Kちゃんだけは休み時間や放課後にいつも通り話しかけてくれた。ハブられた事実にも触れず、さも何事もなかったかのように。私は本当に嬉しかった。そして、グループを去った私と仲良くしつつ、他のメンバーともうまくやっているKちゃんをすごいと思った。

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ある時、ふと気になって、なぜ自分と変わらず仲良くしてくれるのか、私と仲良くすることでグループに居づらくならないのか、彼女に尋ねたことがある。すると彼女は、「確かに周りからは“あのグループのKちゃん”に見えるかもしれないけど、あくまで私は私だと思うんだよね。そもそも”いつメン”みたいな排他的な集団苦手だし。でも、波風を立てずに無難に過ごすには、周の認識通りに振舞った方が都合良いかなと思って。でも、うまくやることだけが全てじゃないから、本当に大切な縁はちゃんと守りたて。橙花ちゃんにはそういう縁を感じたの。だから、私が橙花ちゃんと仲良くしてあのグループを追い出されるなら、それはそれでいいかなと思。」と言った。

若干14歳の彼女はなんて大人なのだろうか。居心地の悪いグループに必死でしがみつき、追い出されたら何者でもなくなってしまう恐怖に怯えていた自分がどれほど小さいか痛感したし、グループに固執するあまり大切なことを見失っていたことに気づかされた。
社会人になった現在は、心から仲良くしたいと思える人とは環境が変わっても繋がり続ける努力をしつつ、合わない人たちとも適度な距離感で協調する術を身につけ、それなりに世渡りが上手くなったと実感している。そんな自分になれたのは、Kちゃんが教えてくれたおかげだと思う。やっぱKちゃんには敵わないわ~と言うと、ニヤニヤして嬉しそうに笑う彼女を私はこれからも推し続ける。