2023年1月1日。
郵便配達員のバイクが家の前から走り出すのを見て、わたしは何気なくポストを開けた。
年賀状は誰からも期待していなかった。
数少ない親戚はみんな近くに住んでいるからしょっちゅう顔を合わせている仲だし、友人たちもなにかあればLINEで済ませてしまう。
典型的なZ世代ゆえか、行事毎に連絡を取り合うのも畏まった新年の挨拶もなにもかも億劫で、年賀状もあけおめメールもこちらから遠慮するとあらかじめ友人たちには伝えてある。
なのできっと地元のお店からのDMかハガキかなにかだろうと、わたしは頭の中で候補を並べうんざりしつつポストの中身を取り出して見た。
中に入っていたのは一通の厚い茶封筒であった、年賀状でもDMでもないそれはイギリスからのエアメールだった。
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若かりし日のエリザベス二世の美しい横顔が描かれた切手が目新しくもどこか懐かしい。数ヶ月前に世界中でニュースとなった女王の突然の死は、わたしの記憶にまだ癒えない傷として残っている。
ひとつの心当たりが頭に思い浮かび、わたしは「まさか」と震えながら慎重に封を開けた。
差出人は日本でも名高い人気を誇るイギリスの名優、コリン・ファースからだった。
アカデミー賞を受賞した「英国王のスピーチ」、「キングスマン」のハリー・ハート、「ブリジット・ジョーンズの日記」などで有名なあの人である。
名前を知らなくても顔を見れば「ああ!」と思われる人も多いのではないだろうか?
実は昨年の11月24日、わたしは大好きなコリン・ファースへ生まれて初めてのファンレターを書きロンドンへ手紙を送っていた。
英語は全く分からないので翻訳アプリを信じて頼るしかなく、インターネットを駆使して試行錯誤しながらなんとか手紙を書きあげられた。
手紙には映画の感想や、個人的な経験や思いなどを綴った。
ひとつかふたつの映画を比較して例えたりそれぞれの役や演技からどんな印象を受けたか、観客としてどんな風に感情移入できたかなど、なるべくシンプルな言葉を使って表現した。
拙い英語でどこまで判読できたかは不明だが、手紙を書いて送った側としては少しでも思いが伝わっていると信じたい。
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手紙と一緒に彼が出演している映画の中のとあるワンシーンの写真を2枚同封し、もし可能であれば写真にサインをして送っていただけませんかと一言書き添えた。
正直に言うともちろん返信を期待してはいたが、半分諦めてもいた。
スターが毎日どれほど忙しいスケジュールに追われているか、また一日にどれくらいたくさんの彼宛ての手紙や花束が届くか、実際のところは分からないのでわたしたちは想像するほかない。
ファンレターは世界中から届く、わたしの手紙はきっとその山の中に紛れ込んでしまうことだろう。封筒にノリをして郵便局に託したあとは知る術もない。
だから願掛けのつもりでサインをお願いした。この手紙が無事に届くように、わたしが手紙を宛てたコリン・ファースその人かもしくはエージェントか代理人か誰でもいい、誰かがこの手紙を読んでくれるように。
ファンレターの山の中に埋もれて最悪誰にも見つけられなかったとしても、少なくとも偉大な俳優の名声の一助にはなれる。自分宛のファンレターの山々を見て彼が自分の仕事を誇らしく思ってくれるならそれでいい、と自分自身に言い聞かせながらもわたしは毎日なによりも真っ先にポストの中身を確認しに行くことをやめられなかった。
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厚い茶封筒の中に厳重に封をされていたのは見覚えのある2枚の写真だった、手紙と一緒にわたしが送った写真だ。
そこに黒いサインペンでコリン・ファースのサインと、流れるような美しい筆記体で「Best Wishes」の文字が書かれている。よく見るとどちらも筆跡が少しづつ違っている。直筆だ、正真正銘の本物だ。
全身の震えが止まらず、わたしは感動で思わず涙が溢れた。
コリン・ファースが、あのコリン・ファースが、サインを送ってくれた!
信じられない!あの手紙が海を越えて遠く離れたイギリス・ロンドンの彼の元へ届き、いまわたしの手元へあの写真が返ってきたなんて。
わたしの手紙を読んでくれたのだ、読んで、写真にサインをしてくれた!これはれっきとしたコミュニケーションの成立である。
なにより映画の中の憧れの人が実在する人物で、日本のたったひとりの見知らぬファンのために時間を割いてくれたことがわたしの心を深く揺り動かした。こんなに嬉しいことはない!
コリン・ファースは現代に生きる本物の紳士だ。
わたしは喜びのあまり泣きながら写真を汚さないように大切にし、いまも毎日眺めている。
あの郵便配達員が来るまでは、ただ一日中家でゴロゴロして大して面白くもない正月番組を見るだけの、今年もいつも通り退屈なお正月を過ごすはずだった。
それが2枚の写真に刻まれたコリン・ファースからのたった一言、「Best Wishes」でわたしの人生最大級の幸運とともに2023年が明けたのだ。
これがわたしの何物にも代えがたい喜びが訪れた、今年初の幸運な出来事である。