エッセイストの私、4/28にエッセイの新刊が発売になる。
その名はなんと「気がつけば生保レディで、地獄みた。」というなんともおどろおどろしいものだ。

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タイトルは編集さんが提案してくれたもので、今でこそ「地獄みた」に落ち着いているが、その候補には「死にかけた」とか「病んでいた」という実にダークな単語が並んだ。
たかだが仕事を地獄だなんて大げさなように感じるし、忍耐力が足りない、と卑下する人もいるかもしれない。
だが生保レディとして過ごした日々は心を毎日毎日やすりで削られるようで当時を知る友人や同期は「ぴったりなタイトルだ」と頷いてくれた。

かがみよかがみにも何度か投稿しているが、私は大学を出てから約2年半、国内の大手生命保険会社で働いていた。

元々は「LGBTフレンドリー」を掲げていることと、明るくきらびやかに仕事をこなす先輩社員の姿に憧れ働きたいと入社したが、社内にはびこる「女は結婚して子供を産むのが当たり前」「この仕事は産休育休もしっかりとれるから早く赤ちゃん産みな」「彼氏いないの?合コンいこうよ」と、毎月毎月課せられるノルマに押しつぶされつつ、どうにかもがいたものの、病み、辞めてしまうまでの話を新刊のエッセイに書いた。

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元銀行員である作家の池井戸潤先生は半沢直樹をはじめ、銀行を舞台にした作品を多くだしているが、それらとは異なり私の作品は実体験を「地獄」という言葉でラッピングして世に出すのだから、賛否はあるかもしれない。

だが生保レディのことを書きたいという気持ちは、働いている当時からぼんやりとあり、
この経験は「このまま現実にしておくにはもったいないくらいドラマチックだなあ」と思っていた。

「生保レディ」の仕事の実態は「やばそう」「ノルマがすごそう」というイメージだけが世に浸透しているが、その実態というのはあまり知られてはいない。
ただなんとなく嫌われたり、煙たがられたりする……。多くの生保レディはそれを割り切って煙たがられても笑顔を崩さないけれど、それはなんだかあまりにも悲しいと感じ、生保レディがどんな世界にもまれながら生きているかを知ってほしいと思ったのだ。

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だが「賛否あるだろう」と身構えているように、書くことへの不安もあった。
出版を控えた今だけれど、その不安はまだ拭えていない。
やめてから「元生保レディ」だというと「私も」という人は何人も出会う。
誰もがその経験をまるでトラウマや隠したい過去のようにぼそぼそと語る。
私は誰もが隠したいことを彫り起こそうとしているのではないか??
やめた会社を変えてやりたいだなんておこがましいのではないだろうか?

でもその不安を遥かに上回るほど発信したい、しなければならないという気持ちが強かった。

発信することを悪いことと思う人もいるかもしれない。
いわゆる「告げ口」「チクる」「内部告発」のような。陰湿な感じがする。
けれど発信することによって知られていない年中日陰の世界に、日を当てることができる。
日の光によって生保業界やLGBTの働く環境がよりよいものに変わるのではないかという可能性を感じたからだ。
不安を振り切って、躊躇う足を踏み出した。
時にバランスを崩し、転びそうになりながらも、執筆、そして有り難いことに賞を頂き出版が決まるという、まだ先の見えない道のりをゆっくりと歩みを止めないように。

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がむしゃらにポールペン片手に400字詰め原稿用紙を埋める中で感じたのは、やめてから数年経ち、私はすっかり生保レディだった日々は過去になっていると思っていた。
自分が生保レディをしている頃は毎朝夕、お客さんへのテレアポにあけくれていた癖に、私が元生保レディと知らない、現役生保レディから勧誘の連絡がくると内情を知っている分より煩わしく思うようになったからだ。
けれど執筆する中で、私の心は約3年前に辞めた生命保険会社にまだ心が立ち止まっているということに気付いた。
会社にはもちろん籍は当然ないというのに、ふいに生命保険会社の社員証をぶら下げ、10キロ近い荷物を片手に、すり減ったヒールよろめきながら駆け回っていた日々に取り残されている私がいる。
心の中では区切りがついてなく、どこかまだ過去の自分に囚われたままなのだ。

振り払えど、振り払えど不安は弱い私の前に顔を出す。
けれどここで止まってしまったのならば、その不安に負けてしまうだろう。
歩まず沈黙するのは、生きているとは言えるだろうか?多分言えない。
区切りをつけるためにも、私は目前に控えた拙作の発売に向けて歩き始めた足を止めない。