私料理できるんです、そういうと、決まって返される言葉がある。
「すごいね!いいお嫁さんになれるよ!」
もちろん発言者に悪気はないのは分かっている。ただ、私は少しモヤモヤしてしまう。現代においても、女性の料理イコール男性のため、という結びつきは固いように感じる。

誰のためでもなく、自分のためだけにキッチンに立つ。そんな私のややズボラな生き様を、このエッセイで綴っていきたい。

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料理ができるが、好きかと聞かれれば、微妙なところではある。そんな私が料理をするようになったきっかけは、高校の頃に遡る。

当時は親が離婚し、母と姉の三人で暮らしていた。その母がうつ病にかかり、寝たきりの状態が続いていた。姉と分担して家事を行い、各々で弁当をつくる運びになった。

包丁なんて、ろくに握ったこともない。最初の頃はミスばかりしていた。ニンジンに火を通そうとした結果、レンジで黒焦げにしてしまう。白菜を洗わずに使い、スープに羽虫が浮かんでいる。今思えばほほえましいが、その頃は真剣そのものだった。

お弁当箱は、どんぶり仕様のものを選んだ。二段構えになっており、上段におかず、下段にごはんが詰められる。私はそれに、あらゆるものをつめた。おそば、ポトフ、そぼろ丼。煮込むだけという手軽さから、どうしてもスープ類が多くなる。本来のつかい方ではないが、楽だった。

三年間の高校生活は、あっという間に終わった。よく続いたものだと、我ながら思う。仕事も趣味も長く続けられた試しがない。そんな私にとって、三年間のお弁当作りは、たしかな自信をくれた。

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22歳になった今、お弁当作りをやめた。昼飯は社食で済ませている。誰かの作ったごはんが食べられるのは、とてもありがたい。料理をしてきたからこそ、身に染みてそう思う。

料理に対する苦手意識は、しだいに薄まっていった。料理は好きでもないが、苦でもない。あの頃の経験を通して、そう思えるようになった。手が勝手に動く、という感じだろうか。おかげでどんなに疲れていても、なにかしらの温かい料理を作れた。

自分による、自分のための料理は尊い。それは祈りにも似ている。健やかな体と心を保ち、現代をサバイブするための。

私が作る料理は、見た目より味を優先している。「芋を煮てサバ缶と和えたやつ」など、名前のないものがしょっちゅうだ。それでも、それでいいんだと割り切っている。割り切るようになってから、だいぶ楽になった。

一日三食五十品目を目指さない。彩りにプチトマトを半分に切って添える、なんて絶対やらない。味噌汁のだしもとらず、椀に入れたかつお節と味噌に、湯を注ぐだけ。ズボラだからこそ続いているのだと思う。
最近のマイブームは、「すきやきのたれで糸こんと豚肉を煮たやつ」である。生卵をからめて食べる。すきやきのいいとこどりをしているようで、なかなか美味い。

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もちろん、自分が作る料理に飽き飽きすることもある。そんなときは、食パンを生で丸かじりしたり、シリアルで済ます。心がけても、義務にはしない。辛くならないためには、距離をとることも必要である。

誰かの喜ぶ顔が見たくて作る、見た目も味もこだわった料理。それもまた、素晴らしいものだと思う。
ただ、このエッセイを通して、料理はもっと楽でいいし、無理に好きになる必要もないんだよと、伝えたい。

今日の晩御飯はなににしよう。野菜室の水菜を使おうか。ベーコンもあったな。考えをめぐらせつつ、私は今日も、キッチンに立つ。かけがえのない、自分のために。

余談だが、母は無事にうつ病から回復した。今では再婚相手のために、ポテトサラダを作るんだと張り切っている。