社会人4年目の春、適応障害と診断され休職した。大学卒業と同時に飛び込んだマスコミ業界。気力・体力ともにハードな仕事に疲弊していた。いつの日からか無気力状態になり、何に対しても興味を持てなくなった。食べたいものもないし、したいこともない。ただ布団に包まり横になっているだけの日々だった。そんな時、姉からこんなLINEが届いた。

「今、BTSにハマっててさ。推しはJINくん」

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BTS ?推し?

何の話をしているのか、さっぱり分からなかった。すぐさま Google先生に質問。どうやら、韓国の男性アイドルグループのことらしい。知らなかった。ちょうど BTS 初の英語曲「Dynamite」が全世界で爆発的ヒットした時期だった。あちこちの有線で流れていたはずなのに、仕事のストレスで余裕をなくした私の耳には一切届いていなかった。

元々、音楽が好きだった。家の中でも外でも、常に音楽を聴いて過ごした。休日はライブハウスに足を運び、イヤホンを鞄に入れ忘れた日はテンションがた落ち。 音楽がない生活なんて考えられなかった。だが、体調を崩してからは聞こえてくる音の全てがノイズのようだった。 気温、会話、景色、香り。聴いた日の記憶を呼び起こす作用を持つ音楽は、神経質になっている私の感情を揺さぶった。 その煩わしさから、音楽を聴く機会が減っていった。

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姉のすすめをきっかけに久しぶりにイヤホンを手に取った。初めて聴いた BTS の曲は「I'm Fine」。 メンバー7人の写真を見たとき1番に目がいったのがラッパーのSUGA さんで、それを姉に伝えると「SUGAの高速ラップがかっこいいから聴いてみて!」と曲が送られてきた。本当にかっこよかった。何度も繰り返し聴いていると、このみずみずしい声の持ち主は誰? 美しいビジュアルのこの方は・・・!?などと興味が刺激されていった。どんどん深掘りしていくうちに、あっという間にメンバーを覚えた。

音楽を遠ざけていた私にとって、韓国語で何を歌っているのか分からないのがちょうどよかった。曲中に出てくる「ケンチャナ (大丈夫)」の言葉だけは覚えた。 自身のキャリアのことを思い浮かべてはゆううつな気分になる私に、それはおまじないのように心に響いた。

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新卒でマスコミ業界に入ったものの、仕事についていけないことが度々あり、完璧主義気味な私は自信を失っていた。その不安感は体調にも現れた。体重は減少し、不眠になった。仕事をしようにもすぐに集中力が途切れてしまい、ひと気のないトイレの個室で目をつむり、時間をやり過ごす日もあった。心身の不調は自身の怠けと思い込み、出来の悪い自分に失望する日々。 過去の失敗が頭の中を巡り、毎夜毎夜、来たる明日を怖がった。「何の取り柄もない人間を会社は必要としないだろう。消えたいな」。 そう思いながら、毎日デスクに着いていた。

そんな時に出会った BTS。自分の殻に閉じこもっていた私の元に差し込んだ、温かい日の光のようだった。彼らの音楽を聴くと心が安らぎ、ひたむきにパフォーマンスする姿を見れば胸が熱くなった。BTS 主演のバラエティ番組ではチャーミングな人となりが垣間見え、笑顔にさせてくれた。彼らのことをもっと知るために情報を集め、時にはSNSで思いの丈をつづった。

オタクの世界では古参という言葉を見聞きすることがある。ファン歴が長い人のことを指すようだ。そう考えると私は古参ではない。だが、その物差しに左右されることのない確固たる気持ちを持っている。「BTSが好き」。それを自覚するだけで心は満たされ、不思議と自信がわいてくる。 私は、そんな感性を持っている自分のことが好きになった。

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休職期間を経て、私は退職を選択した。一生懸命、就職活動をして入った会社。周りの人に恵まれ、思い入れのある仕事も残っていた。辞めるのはもったいないかな、と思う気持ちもあった。けれど私は、私らしくのびのびと輝ける道が他にあると直感した。

BTSをきっかけに、他のK-POP グループの音楽や韓国ドラマ、映画などにも趣味を広げていった。その中で 「好き」を共有できる仲間と出会うことができた。コンテンツを見たりライブに出掛けたり、楽しみのために仕事を頑張ろうと思えるようになった。できることを増やそうと韓国語を学び始めた。

布団の中に閉じこもっていた頃の私はもういない。知らぬ間に自分で背負い込んでいた過度なプレッシャーや不安を解き放ち、私は先を行くことにした。やりたいこと、行きたい場所がたくさんある。耳にはイヤホン、胸には彼らをひたすらに愛し応援する気持ち。そして韓国語のテキストを背負い、私は、私だけの道を歩み始めた。