高校2年生の冬、付き合い始めたばかりの彼氏とイルミネーションを見に行った。もうすぐ受験生になる私達は、勉強漬けになる憂鬱さと不安をお互い感じていた。
「部活ももうすぐ引退だね」
「なつめさん茶道大好きだから寂しいでしょ」
「めっちゃ寂しい」

そこで会話が途切れる。私は回想にふける。

週に1度、茶道部のお稽古に向かう。その日はいつもお稽古が楽しみ過ぎて終礼が終わると小走りに教室を出る。でも、茶道でいっぱいになった頭にいつも一瞬だけ、みぞおち君のことがよぎる。

◎          ◎

中学2年生のある日のお昼休み。私はお手洗いから教室に戻ろうと廊下を歩いていた。すぐそばの食堂は一刻も早く昼食にありつこうとする生徒、特に男子でにぎわっている。鬼ごっこ中の男子達が食堂から勢いよく走り出てきた。いつもお弁当の私にはそんな喧噪も、争いも縁がない。
そう視線を前に戻した瞬間、強い衝撃を受けた。鬼ごっこをしていたうちの1人の、思い切りふった腕が私のみぞおちにきれいに入ったのだ。私はアイスホッケーの要領で見事に吹っ飛ばされた。向こうは走っていたから余計に鈍く強い痛みが走った。ああ、アニメでよく見るけどみぞおちって本当に痛いんだ。普段縁のない類の痛みに耐えながら、走り去っていく男の子を見上げようとしたけど、起き上がることもできないし、何事かと私の周りに群がる人達に阻まれて結局見えなかった。彼が同級生なのか、先輩かはたまた後輩であるかさえ私には分からなかった。

ものすごく痛い思いをしたが、ちっとも憎くなかったし、怒りさえ湧き上がってはこなかった。ただ、やんちゃな奴がというくらい。なんならこの特殊な経験を面白がっていた。実際、これは私の絶対滑らない話のネタの1つになっている。

あのみぞおち君は結局誰だったんだろう。その謎は茶道部へ向かう度思い出され、彼との会話が途切れている今も考えている。

◎          ◎

「そういえばさ、なつめさんいつから俺のこと認識してた?」

彼の一言で我に帰る。
「初めて見かけたのが、あなたが留学から帰って同じ英語のクラスになった時だったから中3の終わりくらいかな。その後すぐ高校で同じクラスの同じ委員になったからよく話すようになった。あなたは?」
「俺は中2の時かな」
「え?」
「覚えてないの?中2の時、ぶつかって」
「ぶつかった……?」
廊下ですれ違い様に肩があたるなんてよくあることだし。そこまで考えてふと思い至る。あれ?中2って言った?
「食堂の前で走ってた俺がなつめさんにぶつかって。俺、あの後みんなから責められたんだ。だからクラスは違ったけどずっと知ってた。廊下ですれ違う度罪悪感感じてて。今とは違う意味で意識してた」
「え、あの時のみぞおち君⁉︎」
「みぞおち?」
「そう!私あの時、あなたの腕が見事にみぞおちに入って、初めてみぞおちって本当に痛いんだなって分かったの笑。それが可笑しくて。あの時の男の子が誰だったか気になりはしたけどぶつかった拍子に転んで見えなかったから。まさかあなただとは思わなかった笑」
もう笑いが止まらなかった。
「茶道部に行く時いつもあの時のみぞおち君誰だったのかなって考えてた。私は無意識にあなたをずっと意識してたんだ笑」
反対に彼の方は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「毎回思い出すってよっぽど痛かったんでしょ。ほんまにごめん……」
彼が必要以上に落ち込んでいるのが余計に可笑しかった。今では温和な彼が中学生の時はあんなにやんちゃだったなんて、人は丸くなるもんだと思ったら、それもまた笑えてきた。
「全然気にしてないから!むしろ面白い」
「でもなあ。なつめさんに危害加えたなんて」

◎          ◎

あんまりしょげているのでさすがに可哀想になってきた。ふうっと笑いを抑える。
「ねえ、これってすごくない?数年前みぞおちくらった相手が今では恋人なんて。ちょっと運命みたいじゃない?笑」
「確かに運命だ笑」
やっとおどけて彼が言う。
「それにね、さっき言ってたように、英語のクラスが同じになったでしょ。授業でみんなが適当にスピーチする中で、なつめさんだけすごく真面目に考えて、みんなとアイコンタクト取りながら話してたからすごいなって。下の名前までは知らなかったからベストスピーチの投票には書けなかったけど。最初は罪悪感だったけど、なつめさんは最初から好印象だったんだ」

ふふふと笑って甘いむず痒さを噛み締める。みんながバカ真面目、ガチ勢と煙たがる私を彼は初めから良いと思ってくれていたんだ。

駅に着く。またねとみぞおち君に手を振って、私は電車に乗った。