忘れたくない景色がある。
照明が消えて、周りが静かになる。
しばらくの静寂のあとに刺す光の眩しさと、ステージにたつ人々の華々しさ。
コロナの世界になって消えた、私の世界に色が戻ってきた瞬間だった。

◎          ◎

劇場は、私の心が踊る大切な場所だった。
誰かの人生をちょっと覗き見してみたり、登場人物に共感してその人生を一緒に体験してみたりできる特別な場所だ。我を忘れることができる場所でもある。
自分が自分である、ということに疲れることがある私にとっては、自分の仕事やプライベートから離れて誰かの物語を体感する時間は、何にも代え難い時間だった。
その時間は、いつも私を豊かにしてくれた。
物語の深さを考察してみたり、続きがあったらあの登場人物たちは何を思いどう過ごしているだろうかと考えたり、お話の中で感じたことを踏まえて自分の人生について振り返ってみたり。
新しい気づきをいつもくれる場所だ。
心ない暴力のこと、人の二面性も、優しい愛も、夢のような時間も、嘘みたいな悪意も、客観的にみて考えることができる。
それから、良質な物語の伏線回収は他では感じられない、快感がある。
そういう風に作られている、ということは一旦置いておいて、あれが伏線だったってこと!?と気づいた瞬間、自分の有能さに酔いしれることもできる。
タイトルの奥深さに気付く瞬間も大切な時間だった。

◎          ◎

お話を楽しむ以外にも楽しみなことがあった。
由緒ある場所に足を運ぶという他にはない体験と、推しを見るという名目。

劇場に行くために服を買って、何ならメイクも泣いても落ちないとSNSで話題のものを買って試したり。
大して顔面が変わるわけでもないけれど、そんなことがなければメイクを変えることもないような代わり映えのない毎日の中で、日々に煌めきをくれる大事な時間だった。
舞台上で輝く推しを見て、自分も頑張ろうと思う時間があることで日々の生活を乗り切ってきた。

それがどうだ。
世の中がコロナ一色になって一番行きにくい場所が劇場になった。
いろんなニュースを見るのに疲れてテレビを見なくなった。
劇場が悪い訳ではないと思う。
でも、劇場が悪いかのようなイメージが先行し、世の中を走っていった。

少し情勢が落ち着いてきても、屋外のテーマパークに行くのはいいのに、劇場に行くのはだめかもしれない。
屋外と屋内でそんなに変わるものなのか。
映画館に行くのはいいのに、役者が大きな声を出している場所に行くのは怖くない?と言われたこともあった。
イメージといろんな情報が錯綜していた。

少しずつ演劇が戻ってきても、なかなか足を運ぶことができなかった。
もしもの時に「劇場に行っていた」という勇気がなかった。
そんなこんなで毎日の彩は薄れていった。
仕事に向かう満員電車はいいのに、劇場に行ってはいけないのだろうか?ということを毎日考えていた。

◎          ◎

自己判断。
結局、自己判断だった。
自分の判断で、宣言が途切れた瞬間に、もう今しかないかもと思って舞台に1年ぶりくらいに行った。
もともと取っていたチケットは、一度ただの紙切れになった。
舞台が再開された日に、当日券の電話をかけた。
つながると思っていなかったので、ベットの上で寝巻きのままだった。
うっかり繋がってしまって、メモも用意していなくて、手近にあった紙の裏に番号をメモして急いで会場に向かった。
渋谷のパルコ劇場だった。
初めて行く劇場だ。

当日券の列があり何人か並んでいた。
そんな光景を見るのも久しぶりでドキドキした。
窓口では席が選べる、と言われた。
最前列と通路を挟んだ列の一番前が空いているとのことだった。
少し迷って、でも最前列を選んだ。
後で知ったが、ほんとうの最前列はステージとの距離を取るために潰されている。
それが今のスタンダードなのだ。

入場前の検温、消毒、さらに、靴の裏消毒まであった。
私がそれまでに行ったどの場所より徹底されていた。
劇場側の本気を感じた。と、同時にそのくらいしないといけない世の中を思った。

◎          ◎

私は開演直前にトイレに行きたい派なので、とてもギリギリに席に着いた。
ちょっとのそわそわする時間。
そして、照明が落ちて舞台が幕を開けた。
明るくなった舞台に俳優さんがいる。
物語が始まる。

私は今劇場にいる。
当たり前が一瞬で消えてしまって、もうこの瞬間には二度と立ち会えないのかもしれないと、本気で思う1年だった。

私は今劇場にいる。
幕が開いただけで涙が出た。

お話もとても面白かった。
ヒガシの足が綺麗だった。
新しくいろいろなことを考えるきっかけを、またもらった。
劇場にいる、という事実だけで、私の世界に色が戻ってきた。

少し落ち着いてきたけれど、まだまだ公演中止の悲しい文字を見ることもある。
当たり前だと思っていたけれど、いろんな人の対策のもとで成り立つ、私の生き甲斐が戻ってきた日のこと。
幕が開いた、それだけで得られる高揚感と幸福感のこと。
これからもずっと忘れずにいたい。

隣の席にいた、出演者のお母様と幕が開いたことを喜び合ったことも、とても貴重な経験だった。
合わせて、色褪せないで私の中にあり続けてほしい景色。

改めてこれが好き、と思えるものに出会えた。
それを再認識させてくれたあの場所の華々しさを、これからも忘れないでいたいと思う。