本年、私は24歳になる。24歳といえばそう、今年は目出度い年女なのである。
世間の24歳はどんな年頃だろう。

めでたい年女が過ごした、意地と見栄と辛い過去

今年度の新採用はみんな同い年だった。私は高校を卒業してそのまま働き出したので、今年で社会人6年生だ。他の人よりも長く働いている分、どこか達観している部分があるとよく言われるし、自分でもその通りだなと思う。そもそも、たった18歳、アルバイトの経験すらなく東北の田舎から関東に出てきて、一人で生きていくのに精一杯だったのだ。それは人より達観もするだろうと思うけれど、実際のところ自分がどうなのかはよくわからない。

私は雪が沢山降る田舎の母子家庭の長女で、下には妹が2人いる。小さい頃から勉強が好きで、中学・高校は割といい成績だったし、当たり前のように大学を目指していた。やりたいことも知りたいことも沢山あった。
ただ、うちが貧乏だったので、それを諦めざるを得なかった。腐りながら過ごした高校三年生、そして半ば投げやりに決めた就職先が今働いている職場である。正直、クソみたいな田舎から離れられさえすればなんでも良かった。
それから、私を捨てた父や父方の祖父母がうんと後悔して嘆くくらい、いい仕事につきたかった。若かった(今も若いけれど)私を突き動かしていたのは「意地」と「見栄」、それだけだった。

ところが、関東に出てきてそうそうに挫折した。なにかというと、生きるのがあまりにも辛すぎる。咳をしても一人、とはよく言ったもので、知り合いもいなければ親戚すらもいない、都会はあまりにも寂しいところだった。
こちらに出てきてしばらくはずっと泣きながら過ごしていたし、ご飯が食べられなくなり、ストレスで円形脱毛症にもなった。ただ、そうまでなっても母には何も言わなかった。これはひとえに私の見栄だった。意気揚々と都会に出た私が失敗することなどあってはならない。
順風満帆でなければならないという見栄っ張りな気持ちが私を呪っていた。まあ、その後実家に帰省した際に円形脱毛症はバレて盛大に心配されることになったけど。

人生を変えたミュージカルの推しメン俳優

そんな私の寂しさを埋めてくれたのが、夢中になれる趣味の存在だった。昔から芸術鑑賞が好きで、中でもミュージカルが好きだった。関東に越してきて最初の夏、私はたまたま友人に勧められたミュージカルを見に行き、運命の出会いを果たすこととなる。いわゆる、推しというやつだ。

推しは私よりいくつか年下の男の子で、初めて見た時はまだ幾分かまるさの残る柔らかそうな顔をしていた。その子が舞台に立つ姿を見て、生まれて初めて生きててよかったと思った。私の人生で後にも先にも、あれほど美しい瞬間はないと思う。今のところない。そのくらい、衝撃的な瞬間だった。それからせっせと彼の出演する作品を見に行くようになり、いつの間にか円形脱毛症は治っていた。知り合いも増えたし、仕事にも前向きに向き合うようになって、今では天職だと思えるようになったし。

……こう並べ立てると、なんだか宣教師にでもなった気分だけど、それくらいいい事づくめだったのだ。舞台を見ている間は見栄をはらなくてもいいし、なにより推しは非常に正直で素直な人間だったので、私もそれに影響されていた部分はある。周りの人に素直に助けを求めたりできるようになったのは、いちばん大きな変化だと思う。そのおかげで、今までよりもっと周りの大人たちから可愛がって貰えるようになった。

不安を振り切りハッピーな年女でいることの決意

こうは言ったものの、正直、気持ちの面ではいいことばかりだけど、金銭的な面だとか、現実的な恋愛・結婚的な場面では、こういった趣味はネックでしかない。妹が昨年結婚したことで、私の肩身は一気に狭くなった。
ただ、一度きりの人生、いつなにがあるか分からないのだから、好きなものは好きと言いたい。なので私は今年も、なりふり構わずに好きな人を好きでいたい。ついでに年女なので、周りの人も巻き込んで色んな意味でハッピーになりたいと思っている。今年目指すは二重の意味で「めでたい(目出度い・愛でたい)女」であることだ。