母曰く、いのししのようだと。目的物に向かってまっすぐ突進していくその姿は、まるでいのししのようだったと。
父曰く、まぐろのようだと。寝ている間も動き続け、休みなく動き続けるその姿は、まるでまぐろのようだったと。
どちらも高校生の頃の私を例えた言葉だ。

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高校生の頃、私は確かにいのししであり、まぐろのようだった。
ジャーナリストという夢に向かい、高校3年間で少しでも多くのことに挑戦し、経験を積もうと決意した私は、そりゃもう色々なことに手を出した。
国際交流プログラムでアメリカに3週間行ったり、高校生新聞の記者として、またはNGO団体で高校生メンバーとして活動し、スピーチコンテストやエッセイコンテストに参加し、興味のある講演会があれば聴講しに行き、大学生向けの国際交流合宿があれば高校生なのに無理言って参加させてもらった。

校内でも文化祭のクラス劇では脚本を書いた上に主演まで務め、体育祭では団幹部として200人をまとめあげた。同時に女子サッカー部に所属し練習していた。そして並行して髪の毛を明るい茶髪に染めつけまつげをつけ、空いている時間を見つけては友達と渋谷に繰り出しプリクラを撮るという高校生らしい青春も過ごした。
これら全てを同時に、並行して。スケジュール帳は1日にいくつも用事を書き込むため、真っ黒であった。
忙しいことは良いことで、いつも何かしらに頑張っている自分が好きだった。真っ黒なスケジュール帳は頑張っていることの証左なのだ。いのししで、まぐろであること。そう指摘されるたびに、内心どんどん得意になっていた。走り続けている自分こそ、偉く努力家なのだと。

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でも、少しずつ、がたがき始めた。
高校3年生の9月。3年間の校内行事の集大成として、自ら脚本を書き、主演を務めたクラス劇で文化祭総合順位2位に輝いた。「総合2位……3年〇組!」と檀上で発表される。クラスメイト全員が歓声を上げ、前から後ろからクラスメイトに抱きつかれ潰れた。檀上にクラス代表と2人で上がり、コメントを一言ずつ残す。涙も流した。信じられなくてふわふわとした気持ちで家に帰り、家族に2位になったと伝えるとお祭り騒ぎになった。母は何度も良かった良かったと呟いていた。幸せと達成感の絶頂。次の日から気持ちを切り替えて、受験勉強をしなければいけないはずだった。

でも、私は次の日から不登校になった。
朝起きれない。昼まで起きれない。学校に行けない。食欲がない。疲れてずっと眠り続けた。受験勉強なんて全く手につかなかった。学校に行けるのは週に3日かそれ以下。それも3限目あたりから行ければ良いほうだった。受験の日が刻一刻と近づいてくる。焦り始める。でもやる気もガッツも全く湧いてこない。
「燃え尽き症候群だよ」と私のそんな姿を見た母が言った。「人の10倍動いた3年間なのだから、その反動が来たんだよ」「今は休みなさい」と。

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それまでの高校生活2年半、もっと言えば小学校、中学校の頃から、走り続け目の前のことをがむしゃらに頑張ることで、壁を越えてきた私にとって「燃え尽きる」ことは、初めて経験することだった。何に対してもやる気がでないことなど、今までなかった。「頑張れよ自分」と今までのように発破をかけ、鼓舞しようとしても、力が湧いてこない。受験生の理想としては、机にかじりつき参考書に取り組むこと。でも現実の私ができたのは、ベッドに横になりひたすら寝ることだった。理想の自分に向けて走り続けた18年間。そして燃え尽きた私は、人生で初めて立ち止まった。当然受験は失敗。そして浪人生になった私は、精神疾患を発症した。

そこからの私については、過去のエッセイが詳しい。精神病棟に3度の入院、2年の浪人と2度の休学、1度の休職と立ち止まりまくりで、いのしし兼まぐろであった18歳の私が予想できるはずのないその後を送っている。そして復職した今でも、当時と同じスピードと必死さで走れているかと言われると、そうではない。徐行程度にとぼとぼと歩いているだけなのだ。

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でも、それで良い。毎日必死に走っていたいのしし兼まぐろだった輝いていたあの頃の自分に、本当に戻りたいかと言われると確かにそうではない。しかし毎日ゆっくりとしたペースで、でもコツコツと歩いている今は、道中の景色をじっくりと見ることができている。もしかしたら、高校生の頃の私は速く目的地に着くために前へ走ることに夢中で、足元にある四つ葉のクローバーを気づかず踏みつけていたかもしれない。幸せってそういうことではないと今の私は思うのだ。

今の私はジャーナリストを目指していない。自分のエッセイをいつか出版して、エッセイストになるというのが、今の私の夢だ。そして今の私はいのししにもまぐろも目指していない。一度夢見たら、くいついて離さない、しつこく情熱的なすっぽん。そう、すっぽんエッセイストを目指して、再び歩き始めた私は、たまに読者さんからのコメントという四つ葉のクローバーを見つけては、喜んでいる。その道中の景色は、望外に良いものである。