怒涛の勢いで過ぎ去った新卒1年目、周囲から最もよく言われた言葉は「可哀想」だった。
今の部署に配属されてからの自分を客観的に振り返ると、確かに「可哀想」と言われてもおかしくない状況がいくつかある。

「可哀想」ポイントその1。都内勤務の同期がほとんどの中、私は当時住んでいた社員寮から1時間半以上もかかる事業所の配属になった。
この事業所に配属されるのはかなりの少数派、その上田舎出身の私はTOKYOキラキラ社会人ライフを夢見ていたため、それがいとも容易く破られてしまったのは、ある意味「可哀想」だと言える。朝早く起きての通勤も非常に辛かったが、後に在宅勤務中心になったり引っ越しをしたりすることで、ある程度は解消された。

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「可哀想」ポイントその2。同じ部署に入った同期の中で、女性は私1人だった。
この点に関しては会社全体の男女比的にも仕方ないが、元々男性と話すことに抵抗感を抱きやすいタイプの自分にとっては、少しフラストレーションが溜まることもあった。みんな何だかんだ優しいし話しやすいけど、女の子同士で話す時のはっちゃけた感じは出しづらいし、同期で集まると「男のノリ」的なものが出て来ることもあるので、やっぱりちょっと気を遣う。
部署には女性の先輩もそこそこいらっしゃるが、どの方を見ても「ドライ」と名高い弊部署の雰囲気に染まっており、気軽に話しかけられる雰囲気ではない。忙しいのは承知だが、心置きなく話せる人がもっと職場に居て欲しい、と思うこともある。

そして、最も重要な「可哀想」ポイントその3。
私が配属後に初めて入ったプロジェクトが、いわゆる「大炎上」をした。

IT業界における「炎上」とは、システム開発における予算や納期が計画通りにならず、プロジェクトの進行が一筋縄では行かなくなることを指す。
度重なるクライアントの厳しい要求、明らかに短すぎるスケジュール、プロジェクトリーダーの突然の休職などの様々な要因が積み重なり、周囲からは「数年に1度レベルの酷さ」と囁かれるほど。私のような新人には本来は難しい仕事を任せるべきではないはずなのに、明らかに今の自分の能力を超える仕事を振られたことも少なくなかった。
例えるとすれば、本来は温水プールでビート板を持って泳ぎの練習をすべき時期に、急に冬の日本海に放り込まれて遠泳をしろと言われているようなものだ。

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そんな私に、教育係のKさんは毎月のように「可哀想」と言って来たし、直接聞いてはいないものの、他の色んな先輩方からも「1年目から可哀想」と言われていたらしい。
これまでの私の人生、辛いこともそれなりにあったが、ここまで他人から「可哀想」と言われ続けているのは初めてだ。

Kさんにしろ他の先輩方にしろ、1年目から過酷な場面に立たされ辛い思いをしている私を、心配や同情の目で見てくれているというのは理解出来る。
とてもありがたいけど、私は声を大にして言いたい。

「可哀想」という言葉が大っ嫌いだ。

表面だけの憐れみで、根っこは他人事だったり対岸の火事だと思われていそうなイメージが拭えない。「同情するなら金をくれ」という有名な言葉があるが、私に言わせれば「同情するなら代わってくれ」といった感じだろうか。
元々そこまで好きな言葉ではなかったが、この1年間で言われ続けたことにより、「嫌い」の方のギアに余計に拍車がかかった。

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でも、ここまで「可哀想」と言ってくれる人がいるのは、私が入社1年目だからだろう。
「1年目だから」大きなプロジェクトでの失敗も多少は許される。
「1年目だから」心配してくれる人も少なからずいるし、「可哀想」とも言ってくれる(表面上かそうで無いかはさておき)。
「1年目だから」私の作業を沢山フォローして下さる先輩もいる。
年次が上がってくるにつれ、自力で何とかしなくてはいけない場面も増えてくるだろう。1年目からここまで辛い場面に対峙するのはかなり稀だそうだが、直面したのが「1年目だから」という理由で比較的周りの助けを求めやすい時期だったのは、ある意味不幸中の幸いだと言える。

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荒波なのか大火事なのか分からない状況に揉まれている中で季節が3回ほど変わり、初めての後輩が入社する時期がすぐそこに近づいてきた。
私は激動の1年目を通じて、「共感」と「寄り添い」が出来る先輩になりたいと考えるようになった。
来年度の新人さんが部署に配属される頃には、この「生き地獄」が多少はマシになっている予定だし、これをくぐり抜けたことによって、新たな景色が見えるかもしれない。
それに、未来の後輩の中には、私と似たような辛い目に遭う人も恐らくいるだろう。そんな後輩に対して、可能な範囲で仕事面・精神面両方でサポートしたいし、私自身も辛い思いをしたからこそ、他の人よりも密度の濃い「共感」と「寄り添い」が出来るはずだ。
少なくとも、「可哀想」の浅はかな一言だけで片付けるような真似は、絶対にしたくない。

「可哀想」の被害者を減らすために、私は絶対に生き抜いてやる。