私は、洋画でよくある「あれ」に憧れていた。
何でもない日常。恋人が夕食を作る日暮れどき、なんとなくラジオから音楽が流れて、ソファに座っていたはずの恋人が、キッチンにいる恋人に近づき不意に手を取り、腰に手をあてて、ワルツを踊るように体を揺らす。私はあれに憧れていた。
夢見がちなのはわかっている。私のキャラにも似合わないのもわかっている。日本ではそんな文化はあまりないことも、タイミングよくラジオから音楽が流れることもないことも知っている。全部わかっているからこそ、憧れだった。

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20歳くらいのときだろうか。私にも恋人ができた。
本当に優しい人で、紳士な対応を望む私に真摯に向き合ってくれた。あれをしてほしい、これをしてほしい、と言葉にできない私は、パートナーを誘導するようになった。レディーファーストのようにドアは開けてほしかったから、ドアの近くにきたら相手の一歩後ろに立つようにした。恋人はちゃんとドアを開けてくれた。下りのエスカレーターのときは前に、上りのエスカレーターのときは後ろに乗ってもらうよう同じように誘導した。するとどうだろう、相手も私をまるで海外の女の子のように扱ってくれた。
階段を降りるときは、少しふざけながらも手を差し伸べてくれたし、読書が苦手なくせに、私が好きだという本に付箋をつけながら読んでくれた。本当に優しい人だった。

何でも叶えてくれるのではないかと思った。
それくらい優しくて、紳士で、そしてよく考えてくれる人だった。

でも、それでも私はキッチンでの憧れを言うことができなかった。
理由はシンプルで、恥ずかしかったからだ。加えて、どちらかがキッチンにいると心配でもう片方も様子を見に来てしまうから、ロマンチックな状況にはならなかった。だから、その恋人とキッチンで体を揺らすことを想像して、それで満足していた。

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そんなある日。2人でとある映画をみていた。
プリンセスが出てくる映画で、物語の終盤心地よい音楽でヒロインの主人公は踊っていた。場所は舞踏会だったが、その曲があまりに切なくてずっと泣いていたのを覚えている。泣いて、泣いて、泣いて。ヒロインが踊りをやめたタイミングで、恋人は初めてティッシュを私に渡してくれた。ああ、そういうところが好きなのだと私は感動の涙に隠れて、愛おしさの涙を流した。そこで精一杯言えたことは「ありがとう」と「この曲が好きだ」だけだった。好きな人の前で気の利いた言葉も言えないような、勇気のない女だった。

それから数日。
パートナーの家にいくことになり、その日は私が夕食を作ることになった。淡々と料理をしていると、テレビから聴いたことのある音楽が流れてくる。思わず火を止めて、振り返ってしまった。そこに映っていたのは、私が好きだといったあのダンスシーンだった。

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わけがわからなくて、でも料理は作らなくてはならなくて、何でもないフリをして続きをしようとガスコンロのスイッチを押そうとしたとき、パートナーが私の手に触れた。火はつかぬまま、私の手は目の前の人の手に誘導される。そして相手は私の腰に手を回した。
「ばんちゃん、こういうの好きなんでしょう」
そういって、笑いやがった。悔しかった。好きだ。好きだよ。とても好きだ。
「あなたにしてもらって、もっと好きになった」
私は子どものように泣きながら、パートナーにリードされながら体を揺らした。

それが私のキッチンでの思い出。
今でも鮮明に思い出すことができる私という人生の映画のワンシーンだ。