この前、母方のおばあちゃんから急に電話がかかってきた。
おばあちゃんとはあまり頻繁に連絡を取る方ではないから、何か良くないことでも起こったんじゃないかと慌てて通話ボタンを押す。
「あんたにあげなさいって、社長がお金くれたのよ!」
おばあちゃんは言った。
◎ ◎
私のおばあちゃんはまあまあなお年寄りだが、現役でお勤めをしている。同年代くらいの社長と2人で小さな会社を回しているのだ。
緊急事態ではないことがわかってホッとしたが、あの社長がなぜ急にお金を?しかも私に?
不思議だった。
「この前社長がね、あたしに何か叶えたい夢か欲しいものはないのか聞いてきて」
「欲しいものなんてお金よ、孫にあげるお金が欲しいって言ったのよ」
「そしたら今日、あんたに渡してあげなって本当にお金をくれたの!」
いくらか聞いてみると、他人の孫にパッと渡すには多すぎるくらいの額。以前おばあちゃんから「社長は、自分の孫と同じようにあんたのことも可愛く思っているのよ」とは聞いていたが、心底驚いた。
そして何よりおばあちゃん本人。おばあちゃんはおしゃれが好きで、80歳を超えてから二重整形をするくらい美意識が強い。まだまだ流行りのものに関心も強いはずだ。
欲しいものや行きたい場所なんていくらでもあるだろうに!そんな中で答えた望みが私へのお金だなんて!
ありがたさで胸がいっぱいになり、ボロボロと泣いた。
なぜそこまで良くしてくれるんだろう…答えは明確だった。人のあたたかさには理由なんていらないのだ。
そういうあたたかい人たちが私にはいてくれる、ただそれだけなのだ。
◎ ◎
恥ずかしながら、ここ1.2年でお金に困ることが増えた。芸人志望だった時も、色々と手を出しながらフリーターをしている現在も、お金を稼ぐ時間は限られている。
お金があれば必ずしも幸せになれるわけではないが、お金の余裕は心の余裕にかなり影響するのだと実感した。
しかしそれと同時に、自分がどれだけ人に助けられながら生きているのか実感する機会も数え切れないほどあった。
父に「お笑いの養成所に入りたい」と言うとそこに通うためのお金を貸してくれた。両親が離婚した時、母について行った私を恨めしく思っているはずなのに。
父方のおばあちゃんも、たまに家に遊びに行くといつもあたたかく迎えてくれる。紅茶やお菓子、美味しいご飯を食べさせてくれる。私は孫であると同時に『息子と喧嘩別れした嫁の子ども』なのに。
「この人達はもし私に困ったことがあったら助けてくれるだろう」と何の疑いもなく思わせてくれるのだ。
◎ ◎
芸人をしていた時、ノルマがあるから来てくれないかと連絡するといつもたくさんの友達が快く来てくれた。こちらの都合で呼んでしまったからチケット代は出すよと言っても、みんな受け取ってくれなかった。
いつも夫婦揃って私を可愛がってくれて、美味しいご飯をご馳走してくれる年上の友達もいる。もし2人に子どもが産まれたらプレゼントを渡しまくろうと既に心に決めている。
そもそもその人の貴重な時間とお金を、私と過ごすために使ってくれるのがありがたくて仕方がない。
私と関わってくれる人はみんな情深い良い人ばかりだ。感謝しかない。
少し前、久しぶりに会った友達に近況を話していると「あなたの周りには良い人がたくさんいるね。そういう人を引き寄せる才能があるんじゃない?」と言われたことがあった(あなたもその良い人の1人ですよ…と思った)。
本当にそうなのかもしれない。最近その言葉をよく思い出す。
私の生活には幸運が溢れている。そのほとんどが人によって運ばれたものだ。
でも今までの人生、私はもらう側になってばかりな気がしている。
身近な誰かに幸運を与えられるような人間に自分もなっていかなくてはいけない。