肉親と連絡を取らなくなって何年経つだろうか。私が実家を飛び出す原因になった母親の連絡先は家を出た時すぐに着信拒否にしたのを覚えている。

うっかり手続きを忘れたショートメッセージはその日の夜にものすごい量が届いて、本の通りみたいな反応でもはや心が動くこともなくそれも着信拒否に設定した。父親とはすでに絶縁状態だったし、実際私が実家を出て事実上行方不明になっていたところで連絡が来ることはなかった。

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今、パートナーを除いて連絡を取るのはSNSを通じてできた友人が一番多いと思う。その次に多いのが、義理の両親だ。

パートナーが、私の特性やセクシュアリティやDVを受けた肉親と連絡を絶っている家庭環境をすべて受け入れて、理解し、最終的に婚姻届を出すまでの関係になったのはさまざまな理由があり、交際した期間の多くがコロナ禍であったこともおそらく大きく関係している。けれど、パートナーの家族に関しては(恐ろしいことだが)、なにも考えずに恋人関係になっていた。

相手の親に受け入れられるような存在ではない、と初めは思っていたし、婚姻届を出すつもりも、そんな関係も望んでいなかった。

ただ、比較的早く同居をしていたこともあり、生活が実質的に婚姻状態と変わらないなら、控除もあるのだから結婚した方がいいのでは?という非常に現実的なところから話は始まった。

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そこでパートナーの両親が、私の特性や家庭環境に十分に──いや十二分に理解のある職業だったことは、私の人生でパートナーに出会ったことと同じくらい幸運なことだと、いつも思う。

これはまったくの僥倖でしかなく、けれどそんな両親に育てられたパートナーだからこそ私にまつわる物事を理解し受け入れてくれたのだろう。

傍目にはその辺の人──つまり健常者と──まったく変わらないように見える私の、抱えている事情はセクシュアリティを除いたところでとても複雑で、結婚の話が進み始めた時もうまくいかなかった職場を辞めた直後という時期だったにも関わらず、気にしないで顔合わせをしようと言ってもらった。

私以外、私の親族のいない結婚式をそれでも挙げた方がいいと勧めてくれたことも、子どもを産まないと決めて結婚することになにひとつ言われなかったことも、ここには書けないことも、書き切れないほどにあって、ひとつひとつが重要な私の人生の岐路だったように思う。

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もちろんパートナーと過ごす日々はこれまでの人生から比べればとても穏やかで幸せで、帰省もまた毎回幸せだが結婚式の日は忘れられないほどに幸福な一日だった。式が終わった後の食事会で、義理の家族全員からもらった言葉を今も時々思い出す。

私自身が生まれた家は記憶が欠けるくらい酷い家だったし、そのせいで迷惑をこうむったことも多い。いわゆる親ガチャは完全なる失敗でしかなかった。個人的には絶対に結婚をしないと思っていた時期の方が長い。

けれどパートナーと義理の家族に出会って、子どもを持たずとも新しい家族関係を構築できたことは、本当に幸運なことだと、心から思う。