人生は徳を積むゲームである、と近頃よく思う。

というのも、私の行く先々には面白いように、誰かの忘れ物や落とし物が待ち受けているからである。靴紐を直すためにしゃがめば落ちている財布を見つけたり、たまたま入ったトイレの個室に傘が忘れてあったり。

偶然とは面白いもので、一度出くわしてしまえば似たようなことが何度も起きる。拾いそびれた日にはもはや、マリオカートでアイテムを取り損ねたような気分にすらなる今日この頃だ。

そして「情けは人の為ならず」とはよく言ったもので、こうしたことの前後には必ずと言っていいほど、私の身に嬉しい事象が起きていた。私の場合、主に幸運が発揮されるのは「推し活」の分野で、良席を引き当てた回数もそろそろ両手では足りなくなっている。
コロナ禍をふまえれば、むやみに落ちているものを拾うのは不用心な気もする。事実、父の目の前で落とし物を拾ったときには注意されたこともあった。けれど、もし私が持ち物をどこかで落としてきたとしたら、なんとか戻ってきてほしくなると思うのだ。親切な誰かが拾って届けてくれてないかなァと。
そういえば私も過去に定期入れを落としてしまって、警察に届けられていたことがあった。幼少期に遡れば、戻ってきたものもそうでないものも含めて、落とし物は更に多い。かくあれば、人様の落とし物はなるべく手元に帰ってもらいたいものである。

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さて、電車を利用したある日のことだ。乗り換え駅でトイレに入った私は、化粧直し用のスペースにふと目をやって、はたと硬直した。一番出入り口に近い鏡の前に、グレーの手提げ袋が鎮座していたのである。落とし物・忘れ物における場数を踏んできた私は、咄嗟に身構えてしまった。

--これは忘れ物なのか、それとも一時的に離れているだけ?
トイレ内にはまだ数人の人影がある。手洗い場と区切られていない、広くもないスペースだ。手を洗う間、濡れないように置いているということもあり得る。

こっそりと辺りを見回していると、1人の女性が何の迷いもなくその手提げの前に歩み寄った。なんだ、やっぱり持ち主がいたのか。と、思ったのも束の間。
ささっと髪を整えた直後、颯爽と立ち去った彼女の背中に、私はマスクの中であんぐりと口を開けてしまった。

--目の前にあるのに届けないんだァ!?
心の叫びも虚しく、鏡の前にはきれいに取り残された手提げがしょんぼりとしている。私は今度こそ持ち主らしい人がいないのを見届けて、かわいそうな手提げを窓口まで連れて行ったのだった。

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この一件を経て、自分が存外善人であるらしいことに気がついた。

拾って窓口に届けるだけ。それだけの小さな一手間をかけられる自分のことを好きになれたので、ラッキーな出来事だったとも思う。手提げの持ち主にとっては不幸な出来事だが、私の一手間で、無事に持ち物が戻ってくる幸運に繋がっていればいいなと思う。
かくして私は今日も、視界に飛び込んできた紙袋片手に、駅の窓口へと向かう。
「どなたかの忘れ物です。改札横の女子トイレ個室内に置いてありました」
阿吽の呼吸で、紙袋は窓口内へと吸い込まれていく。どうにか持ち主のところに帰れるといいのだけれど。

推しのチェキに当選したのは、その翌日のことだ。どうやら私はまた徳を積んでしまったらしい。