私が塾講師を始めて3年が経とうとしている。実感としては「え?3年ってこんなに早かったっけ?」と若干焦りを感じている。いつの間にか3年が経ってしまった。
生徒は志望校に合格し、華やかな学生生活を送る。生徒たちを見送るとまた新しい生徒たちが入る。私が担当する学年はほぼ変わらないので私だけが歳を経ていくという謎の感覚もある。
たった3年、されど3年。担当生徒の学年が変わらないので実感はあまり無かったが、私の“先輩”という役割もいつの間にか3年が経とうとしている。

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私は講師の中でもおちゃらけたキャラ(?)かつ、とてもポジティブな人間に思われているらしい。なので塾長からは「すももさん、先輩じゃないみたいだね」とよく言われる。
自発的に先輩オーラを出しているわけでは無いので、私としては「先輩に見えないのは当たり前なのでは…?」と思ってしまうがどうやら私は塾長以外からも先輩ぽくないと思われているらしい。

担当している生徒の保護者の方から見ると、私は生徒に見えるらしい。もはや先輩よりも生徒の立場が私に合ってるのかもしれない……。
童顔なので生徒に見えるのかもしれないが私はどう頑張っても“先輩”に見えないらしい(頑張って先輩になろうとしている訳ではないのだが…)。

「でもこの状態って少し危ういのでは…?」と最近考えるようになった。
先輩には見えない=大人っぽくない、威厳がない、扱いづらい…等々多くのマイナス点を抱えているようにも見える。
ただでさえ童顔の私がおちゃらけたよくわからない人間と認識されていたらそれこそ立場が危うい…私は“みんなから頼りにされる優しい先輩♡”の称号を得たい……。
近頃はそんなふうに思うようになった。

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大学の先輩を見ると「先輩らしさがあっていいなぁ…」と思う。
信頼され、みんなから慕われる存在。「この人なら大丈夫!」と周りに安心感を与える人。そういう人に私は憧れる。自分の未熟さや童顔がコンプレックスだからそのように思うのかもしれない。
だからこそ私は“みんなから頼りにされる優しい先輩♡”になりたいのだ。それは職場であっても大学であってもどの場においても。だって私はある場所においては“先輩”なのだから…

でも同時に“先輩”になることはとても難しいと感じる。
果たして“先輩”は「先輩でありたい」と思っているのだろうか。先輩である限り、ある種の責任がその人にのしかかるおそれがある。
「先輩だから…」、「先輩はこうあるべきだ」といった言動やイメージは先輩を苦しめる要素になっているのかもしれない。これはただの私の想像だが。
私は呑気な人間なので、人間関係(特に上下関係)においては何も問題が起きたことはない。職場の人とも大学の先輩ともみんな仲良しである。
しかし、人間関係は一筋縄ではいかない。気を遣い合ったり先輩として頑張らないと…といった思いやりが負担になる場合もあるだろう。

“先輩”という存在に憧れを持つ私であるが、その限度や加減については今しばらく考えていこうと思う。