どうにも、キスが噛み合わなかった。噛んでないけど。彼に対する私の中の“モヤり”が確信に変わったのは、これが最も大きい原因だったのだが、この“モヤり”が生まれるに至った経緯をみなさんにお話ししたい。そして、もし共感するポイントがあったり、みなさんの何か役に立つことがあれば、本当に嬉しい。
雑誌にあった「女は少量多皿に目がない」。私はまさにそれ
付き合った期間は10か月。大学のクラスで同じだった彼は、のんびりとした性格で、入っていたサークルも「スローフード」をテーマにしたものだった。大学生になって急にチャラけだす男子が多い中で、彼のモサさは貴重に見えた。
「スローフード」サークルに入っているくらいだったから彼は食べることが何より好きだったし、私も食べログやUberEatsで食べ物をしょっちゅう眺めているくらいだから、おいしいご飯屋さんをふたりで探すのは楽しかった。
だが、ここからが問題だ。私は基本的にどういう欲求に対しても欲張りなのだが、なかでも「食欲」は絶対に譲れない。先日雑誌『東京カレンダー』で、「女は少量多皿に目がない」と書いてあったが私はまさにそれ。めちゃくちゃ大食いなわけではないが、バリエーション豊富な味たちが目の前にちょこまか並んでいると、本当にテンションが上がりまくる。だからおせち料理なんて大好物だ。だから私は、「試食」というシステムも愛してやまないのだが、そんな私に彼は言い放った。「このあとおいしいご飯を食べるから俺はいらない」
今のパートナーと一緒にいて、分かったことことがある
わかる。彼の言っていることもわかるんだ。というかむしろ正解。お腹はとっておかないと限界があるし、お腹がすいている状態で食べるご飯は超絶おいしい。
なのに、このモヤりは何だろう。
当時、このモヤりが解消されることはなかったのだが、今お付き合いしているパートナーと一緒にいて、分かったことがある。ふたりが同じ「食欲」に対して貪欲だったとしても、そのベクトルが違う可能性があるということ。
大学生の時付き合っていた彼は、「食欲」のなかでのベクトルの向き先が、「フレンチ」「シェフのおすすめなんちゃら」「星3つ」「予約の取れない」……以下省略するが、こんな感じだった。食のヒエラルキーが存在していて、チェーン店なんかはもってのほか、そんなところでお腹を満たすのであればもっといい店を探そうじゃないか、という考え方だ。
私のベクトルは、マックだろうがサイゼリヤだろうが高級寿司だろうが、美味しいものは美味しい。そこに順位はないのはもちろん、世の中に存在しているいろんな味をもっとこの舌で感じたいので、試食のお菓子だってもらえるなら喜んでいただく。今のパートナーとはそこが合致しているから、自分の欲求を素直にぶつけられるし、世の中の勝手な食のヒエラルキーに臆することなく、おいしいものをおいしいと味わえるのが溜まらなく嬉しい。
ベクトルの違いは食に限ったことではなく、さまざまなものに通ずる
このベクトルの方向の違いは、食に限ったことではなく、さまざまなものに通ずると思う。厄介なのは、最初の印象や第三者として観察しているだけだと、なかなかベクトルの方向まで見えてこないということだ。それでも、ひとつでもベクトルの違いを発見すると、「これも違う」「あれも違う」をたくさん発見してしまい、最終的に「キスがなんか違う」となり、冒頭に戻る。
違う、と思ったら早く別れたい気持ちが抑えられなくなり、渋谷のカフェで数時間議論の末、別れることに。今思うと、彼からしたら急な別れ話に思えただろうし、申し訳ない気もする。
ただ、これだけは言える。別れて、本当にスッキリした。彼と別れてから今のパートナーと付き合うまで、2年ほど誰ともお付き合いすることはなかったが、一回も寂しいと思わなかったし、後悔もなかった。
もしいま、付き合っているのに自分のなかに“モヤり”を感じている方がいるとしたら、そのモヤりの原因は数年後にわかるかもしれないし、一生わからない可能性もあると思うけれど、一旦自分の直感を信じてみてもいいんじゃないかと思う。
モヤりって、大体正しい。