本当に、つい最近のことだった。
ここ2週間くらいの仕事は地獄のようだった。行ったことのない地獄を想像してしまうくらいだった。誰が悪いわけではないことがまた、誰かに怒りを向けることもできなくて辛かった。残業、残業、残業、そして人の命がかかる仕事。挙句の果てにすべての調整を終わらせたとしても、相手の一言ですべてがパンッと消えてしまう事例。そんなことたくさんある。わかっていた。私はそういう仕事をしているのだという自覚はあった。でも、次から次へと降りかかる何かは私の頭をいっぱいにし、背中に何か重いものを置いていった。

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この仕事で、「忙しい」という言葉はなるべく使いたくなかった。心を亡くすと書くから。でも、たぶん私の頭の中は「忙しい」でいっぱいだったのだと思う。

こういうとき、いつもの私だったら一人でいる。
誰かに愚痴を言いたくはないし、誰かを不幸にしたくないと考えるからだ。でも、SNSで耐えられず「疲れた」と投稿したら、友人から連絡がきた。「仕事終わりそうなら一緒に晩御飯でもどう?」私はすぐに「たべる」とだけ返信をした。

結果として友人を少し待たせることになってしまったが、無事に仕事終わりに合流できファミレスで夕飯を食べることにした。彼女はひどく疲れている私を労わってくれたし、彼女も仕事終わりだったから、互いにおつかれさまと言い合った。温かいご飯を食べながら、なんでもない話をした。同じジャンルの趣味があるから、その話をしたり、旅行に行きたいなんて話したり、本当に他愛のない話だった。友人が笑ってくれている、そして自分も笑顔になっている。その空間がまるで高校生時代に戻ったようで楽しくて、たまらなくて。ああ、このまま一生続けばいいとすら思った。

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食事も終えて、そろそろ帰ろうかというタイミングで、友人は「ちょっと待って」といった。素直にその言葉を受け止めて待っていると、彼女は自分の鞄からオレンジ色のジップロックを出した。中には私が好きそうなジュースや栄養ドリンク、スープなど、一人暮らしの残業疲れの女にはあまりに温かい贈り物が入っていた。彼女は「おつかれさま」と言って私のそれをくれた。たまらなかった。

彼女と楽しく話した数時間は、仕事から解放された。それだけでも十分すぎるくらいに楽しくて、たまらないのに。ここまでされてしまったらもう、涙の一つや二つ零させてほしい。私は年甲斐もなく泣いて、「ありがとう」といった。彼女は「どうしたの~」なんていいながら笑っていたけれど、私も彼女の優しい声と思いに癒され、涙を流しながら笑っていた。
こんなにも幸せな笑い話は、きっと人生でそうたくさんはない。そう思って、大切にしたいと思う。

家に帰って、ジップロックをあけたときに人の優しさを改めて感じた。この少し冷えた一人りの部屋に友人のあたたかい心が伝わってきた。きっといつものように一人きりでなのとかしていたら、回復はしたとしても声に出して笑ったり楽しい思いをしたりすることはなかっただろう。ましては友人の心遣いに触れることもなかった。だから少し思う。笑いたいとき、笑顔になりたいとき、不意に手を差し伸べられる存在に私もなりたいと。