「一緒にあそぼ」この一言をかけるのに必要だった勇気がどれほどのものだったのか、もう今は思い出すことができない。

私の実家は山や坂や峠が住所に入ってるぐらいに、山奥にあり、少子化もあってなのか同じ地域に住む子どもたちはみんな顔見知り、同級生は5人ほどだった。だから学校の帰り道や放課後に見かける子どもはみんな名前を知っていて、だけどすごく仲が良い友達がいるかというと、そうでもなかった。

特に私は少し遠い幼稚園に通っていた関係で小学1年生の頃知り合いがいない状態で入学し、クラスのみんなは幼稚園からのつながりで友達が既にできていて、なんだか疎外感を感じていた。「1年生になったら」この歌は小学生になったら友達をたくさん作らなければいけないというプレッシャーを与えてきた。挨拶をしたり、とりあえず休み時間を一緒に過ごしたり、帰りのバスが一緒になると話しながら歩く人はいたけれど、本当に友達なのかは分からなかった。

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2年生の夏休み、共働きの両親は忙しくてあまり外には連れ出してはくれず、祖父母の家へ行くか、妹と少し幼稚な遊びをするか、あまり気の合わない近所の子どもと公園でドッジボールや鬼ごっこをするかの選択肢から時間を潰す方法を選んでいた。ドッジボールはボールが当たると痛いし、運良く受け止めたところで私の折れそうな腕では2m程しか投げられない。足の遅い私は鬼ごっこもいつも捕まって鬼になるから、氷鬼や木鬼のような鬼が変わらないゲームではかたまってずっと動けなくなる。どれにも飽きてしまって一人で公園へ何かを求めて向かうと、見たことのない女の子が一人砂場で遊んでいた。私はすごく人見知りをしていて極力会話を避けて生きていたのに、なぜかその時にはあの一言が勝手に口から出てきた。

「一緒にあそぼ」

名前や素性を聞くよりも先に遊ぼうと声をかけるなんて、子どもは実に勇気があってなんと挑戦的なんだろうと今は思う。しばらく砂遊びをしながら、ゆっくりと彼女のことを知って、私のことを知ってもらう。

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名前はあかねといって、自分のことをあーちゃんと呼んでいた。私はいきなりあーちゃんと呼ぶのも馴れ馴れしくて、あかねちゃんと呼んだ。私の名前はみどりだし、あかねとみどりってどちらも色でなんだか面白いなと思った。赤と緑が補色であるように、私とあかねちゃんも対照的だった。彼女は運動が好きでよく話をする子だった。すごく目がくっきりと大きくて、身体が小さいのも私の反対だった。

あかねちゃんは夏休みの間だけ祖父母の家のある私の地域に遊びに来ていて、毎日のように一緒に遊んだ。私は夏生まれが嘘かのように夏バテもしやすく外遊びが苦手で、室内で遊ぶのが好きだった。私の祖父母の家にある広い畳の部屋で妹も呼んで、部屋を薄暗くして小さな灯りを灯し、舞踏会のように踊りを踊った。何もなくても想像力だけで私たちはプリンセスになることができた。

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をつけていない宿題と絵日記を急いで終わらせる夏休みの終わり頃、あかねちゃんが家に戻ることになった。みどりという名前があまり好きでなかった私が初めて出会った色の名前の友だち。休み時間に一人でいるのがみっともないから、体育の授業でペアを組めないと困るから、無理やり作ったわけじゃない友だち。うちのグループにいるのに最近別のグループの子と遊んでるのなんで?なんて言われない友だち。仲良くなりたくて、勇気を出して自分から声をかけた友だち。そんな大事な友だちが帰ってしまうのが寂しくてたまらなかった。

2学期の初日、宿題で重いリュックを背負って、通学路を歩く。集団登校の待ち合わせ場所に一人ぽつんと離れた子がいる。目が合うと大きな目でキラキラとした笑顔を私に向けてくれた。あかねちゃんは実は引っ越しをして転校してきていた。これでまた一緒にあそべることが嬉しくて今にも踊ってしまいそうだった。あかねちゃんのことをソワソワと見ている他の子たちに紹介する。「転校してきた友だちだよ。名前はあかねちゃん」