私は小さい頃からやたらと運が良かった。
懸賞やくじ引き、ビンゴ大会は基本的に何かしら当たる。
そのため嫌というほど様々なものに駆り出された。そしてきっちり当てるのだ。
ドライヤー、加湿器、自転車、金一封、チケット、スペイン旅行も当てたことがある。

◎          ◎

でもこれにはカラクリがあると思う。
まず第一に、人より多くのくじ引きに参加してる。
さらに、懸賞などは当たり方や確率が高くなる方法を入念に調べてる。
だから私が本当に運が良いかと言うと、違うはずだ。

私だって運が悪いときはたくさんある。
そんなときは、「たまには運が悪いときもないと不平等だもんね」と笑い飛ばす。
そして良いことがあるたび、「やっぱり私は運が良いな」と運の良い自分のおかげと自信を持つ。

つまり運の良さは、「考え方次第である」と持論があった。

ただ、社会人になってから、そういえば運が良いと感じる場面が少なくなっていると思った。
何故だろうと不思議に感じて、自分のことを分析をしてみた。

基本的に石橋を壊れそうになるくらいまで叩いてから渡る、超慎重派の私である。
何をするにも綿密に調べ倒し、計画を立てるタイプだ。
旅行に行こうもんなら、交通手段、時間、その土地の特徴、ホテルの立地、全て調べて計画を立てた上で行く。
仕事なら尚更だ。先の先まで調べ倒し、どう転んでも仕事がうまくいくように先回りしているタイプだ。
旅行の場合、別に思うようにならなくても良い。先々のハプニングも楽しい。
ただ行った先で困らないようにしておきたいのだ。全力で楽しみたい。
帰宅後、あれもこれもあったらしい、というのは無くしたい。
仕事の場合は、ただの心配性。絶対にミスなく終わらしたい、お客様の希望がどう転んでも対応したい、という気持ちのみで動く。
自分の気持ちはいらない。お客様の要望を聞き、自分が出来うる最大限を発揮したい。ただそれだけだ。

◎          ◎

自分の性格上、予定なく自ら動くのが苦手だ。
では、運が良かった時ってどうだったっけ?と考えてみると、
「留学したい!」
「スポーツがしたい!」
「新しいこと始めたい!」
と衝動に駆られて急に決める。

急に決めた後の私は、すさまじい勢いである。
下調べもなにもせず、見えた道を突き進む。
もがきながらでも、突き進む。猪突猛進。
まさにその通りだ。
戻ることなど考えない。ただ、闇雲に突き進む。
そんな時、悪いことも良いこともいっぱい起こっているはずだ。いや、起こっている。

嫌だったこと、たくさん覚えている。
もう二度と経験したくないこと、たくさん覚えている。
泣いて逃げ出したかったこと、たくさん覚えている。
それでも最後には、「私は運が良かったなぁ」と思える。不思議だ。
私が思い描いていた理想に辿り着けなくても、自ら動いて成長しようとした自分に、満足するのだ。
なんという幸運バカだ。
やってみたいと思ったことに対して行動してしまえば、どうなったって満足できるんだから、やはり私は「運が良い」。

つまり、私が今だ!と、行動したその先に運が良いことが続く。

幸運よ待っていろ、私がゆく。