子どもの頃には中学生がとても大人らしく見えるもので、さらに高校生となると、もう大人との区別が付いていなかったような気がする。だけど、私もかつての自分自身が大人だと思っていた年齢になり、私はまだまだ大人じゃないということに気付いたし、社会には「大人」という格好良い素敵な人たちが沢山いるんだという期待も打ち砕かれてしまった。

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高校生のとき、社会の中に、中々自分自身の居場所は見つけられないと感じるようになっていた。それなのに、戸惑う暇もなく受験勉強を催促されて、社会へと流し込まれていく。また、女子たちは、子どもから大人に見た目を変える。赤いリップを引いてみたり、お金を持って買い物したり。だけど、その「大人」の像が作られたもののように見えて、納得できなかった。流行りのメイクやブランドのバッグ。女の子はきれいでかわいくなくっちゃ、とか。校則で、表向きではメイクやマニキュアを禁止しておいて、急にすっぴんを芋くさいとか言う社会への理解ができなかった。お年頃になってそのことを楽しむ、の前にふと浮かんだ疑問。私はこれからも、絶対にすっぴんを貫くんだという謎の信念だけがあった。

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浪人中、あろうことか、私は予備校の講師に一目惚れをしてしまった。先生は背が高くて、声が柔らかく、指が白くて綺麗な、中性的な雰囲気を持つ人だった。先生の名前は女の子の集団からよく聞こえ、そんな彼女たちはみんな、可愛い格好をしていた。髪もメイクも、服装も。

いつの間にか、自分自身の姿は、用事がないときにただ家で過ごしているときの格好みたいだと思えてきた。人目に触れるのも嫌になり、共通テストの後、私は髪をほぼ茶色ではあったが紫色に染めた。そして、初めてアイメイクも施し、意気揚々と予備校に向かった。それでも、とても当たり前のことだけれど、日常は変わらなかった。

ただ一人の女の子が初めて髪を染めてもメイクをしても、この社会ではそんなのはどうでもいいことなんだろうと感じた。路上ミュージシャンが、幼い頃に子ども番組で耳にしていた懐かしい歌を、叫ぶようにして歌っていた。今大きくなったのに、私は何をやってるんだろう、と感じた惨めな気持ちは忘れられない。

後日、報告を兼ねて大好きだった先生に会いに行った。「最後に綺麗なあなたが見られて満足」。先生はそう言ってくれた。本当は、自信がないにも関わらず、ありのままの私の姿を見てほしかった。だけど、先生は、綺麗に着飾った姿を褒めた。

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これから大学生活が始まる。一年前の私は、化粧をして入学式に臨む私を許さないだろう。それでも、楽しむよりも自信のない自分自身を覆い隠すために、私は化粧をする。また、私も気付けば、化粧は「大人」の女性のマナーだという価値観を受け入れてしまっていた。「大人」になるということは、楽しんでいいのか、悲しんでいいのか分からない。

もともと肌が強くない私は、半日も化粧をしていれば、瞼が熱くなってきて涙目になってしまう。化粧品が合わない体質だということもあるけれど、それは「大人」に期待と信頼を寄せていた、あの頃の私自身の涙なのかもしれないと、時々思う。