高校生の頃から起立性調整障害なるものが増えた。いわゆる朝礼で倒れる子である。
例えば、横たわっている状態から急に立ち上がると目の前が真っ暗になり、気を失う。
そして少しすれば元に戻る。
高校生の頃は集団行動で身近に誰かしらが居るので、気にもしていなかった。みんなそういうものなんだと思っていた。

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だが、大学生になる頃、婦人科関係でも数値異常が出て、病院にかかる状態となった。
そんな中で始まった大学生活。初めての一人暮らし。不規則な生活。そして、9:1で圧倒的な男性社会。
誰にも相談できず、ひっそりと家でぶっ倒れていることもあった。頭を打たなかったことだけが不幸中の幸いだと今更ながら思う。

そんな生活を送るなか、どうしても出席せざるを得ない授業の日と生理の1番重たい日が被った。重たい身体を起こして授業に行ったものの、結局座っていることすらできなくなってしまった。
仕方がなく、友達には体調が悪いと伝え、教授から隠してもらい、寝転んで授業を受けた。
この教授、出席や授業態度にとても厳しいことで有名なため、途中退出できなかったのだ。

授業後、1人の友達が「バイクで送るから、正門まで歩けるか?」と言ってくれたので、お願いすることにした。教室を後にし、友達は駐輪場へ、私は正門へ、それぞれ向かった。

キャンパスが広大で有名な大学なことを、この日は本当に恨んだ。
正門が見えてきた最後のストレートの道で、私は倒れる前兆を感じた。
「やばい」
咄嗟にしゃがみ、頭を打つことだけは避けた。
初めて、外出中に動けなくなってしまった。

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ぎりぎり意識はあるけれど、「どうしようか」と苦しみながら思っていたその時。

私の後ろを歩いていた男性グループと女性グループが駆け寄ってくれた。
「大丈夫ですか?」
と男性に聞かれ、私は言い淀んだ。
女性が察したのか、私の口元に耳を寄せてくれた。
「生理痛がひどくて……」
精一杯の一言だった。

それから女性たちの指示の早いこと。
「守衛さん呼んで。救護室に連絡してもらって」

それを聞いた男性たちの動きの早いこと。
今でも男性の声をよく覚えてる。
「守衛、はよ来いや!走れよ!」
と口が悪くとも私を心配しての必死の呼びかけを。ありがとう。

その後、女性たちは男性グループに「帰っていいよ。あと私たちに任せて」と男性グループを私からそっと離してくれた。
そして、救護室の方が来るまで、女性たちはずっと側にいて身体をさすってくれていた。
救護室の方が車椅子を持ってきてくれたと共に、私の意識は飛んだ。

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救護室で意識を取り戻した時には女性たちはおらず、「友達が外で待っててくれてるよ」と、救護室の方に言われた。
救護室の方が私の携帯にしきりにかかってきていた電話に出て、友達に説明してくれたみたいだった。

社会人になってからも、街中で倒れる事がたまにある。飛行機で救護措置され車椅子で降りたり、バスで席を譲っていただいたり。仕事場で倒れ、病院に運ばれたこともあった。数えきれぬほど、周りの方に助けていただいている。
そのたびに思い出すのは、あの時の出来事。人の優しさ・気遣いに触れた最初の素敵な出来事だった。

顔も名前も何人いたか分からない女性グループと男性グループ。分かるのは、私と同時期に同じ大学に通っていたということだけだ。もう10年以上前の話だけれど、鮮明に記憶に残っている。

困っている人がいたら、私も手を差し伸べられる人になる。きっとこれが私にできる小さな恩返し。