クリスマスといえば、サンタさんにチキンにプレゼント、そしてなんといってもクリスマスケーキだと思う。
ケーキ屋さんだけでなく、スーパーやコンビニでもホールのクリスマスケーキを取り扱い、今の時期から店頭にはきらびやかなケーキの写真やカタログが並んでいる。真っ白なクリームに赤いいちごがのったショートケーキ、濃厚なチョコレートケーキ、切り株を思い起こさせるビュッシュ・ド・ノエル。どのケーキも可愛くて目移りしてしまう。
母と弟と3人でケーキをわいわい作ることが、楽しくて仕方がなかった
けれども私は、カタログやショーケースをまじまじと眺めることはあっても、実はプロのクリスマスケーキを食べたことはあまりない。いつも眺めてテンションをあげて終わる。
小さいころから母と弟と3人でクリスマスケーキを作っていた。初めは母が作っているところをみて、混ぜるのをやってみたり、いちごをのせるのを手伝ったりした。
少しずつ年を重ねていくうちに、自分で粉の計測ができるようになった。毎年やっていると徐々に作り方も覚えていく。みんなでわいわい作って食べるのが楽しくて仕方がなかった。
小学校高学年にもなると一通りのやり方を覚え、中学生になると一人でも作れるようになっていった。
けれどもその頃になると、家の空気は暗くなっていった。
両親は互いの不仲を隠さなくなり、弟はメンタル不調が原因で不登校になり、家族はどんどんばらけていった。私が作ったクリスマスケーキも、家族一緒に食べることはなくなっていった。
お菓子作りに熱中するも、家族がばらばらな状態で夢なんか語れない
当時、パティシエールを目指して頑張る女の子のアニメを見た私は、中高一貫校にいたにも関わらず、高校受験してパティシエ学校に行きたいと思うくらいにお菓子作りに熱中した。
お菓子を見ることも食べることも考えることも大好きで、おこづかいでケーキを買ったり、食レポやアイデアをためるケーキノートまで作ったりした。学校のテストでよい点を取ったときのご褒美は製菓道具だった。
けれでも、パティシエになりたいと両親には言えなかった。弟は部屋から出てこない、両親は毎晩大喧嘩、そんな状態で夢なんか語れなかった。
普通に生きることが一番いいことだと思えた。結局パティシエについて調べるところまではいったが、仕事の大変さを知ったこともあり、お菓子作りは趣味にとどめた。
お菓子好きの熱はとまらず、カフェ経営のサークルでメニュー開発
大学に入り、家を飛び出して念願の一人暮らしを始めた私は、オーブン付きのレンジを買わなかったことをひどく後悔した。せっかくの製菓道具たちは、3年たった今でも紙袋にとどまったままである。
けれどもお菓子好きの熱はとまらず、私はスイーツメニューの開発ができると聞き、1年生の後半からカフェ経営のサークルに所属した。学生たちでカフェをまわすため、開発も仕込みも提供もできる。引退までの2年間で計4つのスイーツメニューを開発した。
あくまでサークルだが、自分でスイーツを考え、作り、食べてもらうことができた。お客さんにほめてもらった時の喜びは何事にも代えがたいものだった。
大学生になってからはクリスマスケーキを作っていない。去年もおととしもコンビニで慌てて買ったやつだ。
けれどもいつかまたホールケーキを作って、誰かと切り分けて思い出を共有したい。