「あらぁ、おはようございまぁす!」
「おはようございまーす!!」

今日も私の職場であるビルに入り、玄関で作業中の清掃のおばちゃんと挨拶を交わす。
私の毎日の仕事スイッチはいつの間にかこの挨拶から始まるようになった気がする。

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前職からの転職先である今の職場で働いて約4年半が経つ。
この部署は私以外全員男性で、おおかたの社員が総合職のため転勤を伴う。そのため人事異動も多く、4年半前から変わらず現在の部署で働いているメンバーは私だけだ。
そんな入れ替わりの激しい職場で、変わらない方がもう一人いる。それが清掃のおばちゃんだ。

毎朝会うと「おはようございまぁす!」と、少し伸びた感じが特徴の明るい挨拶でにっこりと笑ってくれる。ショートヘアで眼鏡姿のその女性は、いつも清掃の作業服姿で腰に小さな赤色のウエストポーチをはめ、ゴム手袋をつけた手にモップやバケツなどのたくさんの清掃用具を携えて職場であるビル内のあらゆる場所を毎日丁寧に清掃してくださっている。

最初は挨拶を交わすだけの間柄だったけど、給湯室で私が男性社員の使用したコップを洗っている時に偶然通りかかった清掃のおばちゃんが「あらぁ、さっきもコップ洗ってたわよねぇ」と話しかけてくれたことがきっかけで、少しずつ会話をする頻度が増えていった。

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女子トイレでリップを塗りなおしている時に「女の子はあなたひとりなの?大変じゃない?」と心配してくれたり、仕事の都合で外出しようとしていた私に「雨が降りそうだから気を付けてねぇ」と午後の天気を教えてくれたり、私が少しせき込んでいると「ショウガ飴は喉にいいから」と、腰の小さなウエストポーチから飴ちゃんを2粒ほどくれたり、ビル内で会うたびいつも私に話しかけてくれた。

今までもらった飴ちゃんはショウガにゆず、はちみつレモンやミルクなどバラエティに富んでいて、今まで数えきれないくらいたくさんの種類の飴ちゃんをくれた。きっと私が女性一人で話せる同性が職場内にいないことを知ったからすごく気にかけてくれていたのだと思う。

入社したての私は思いがけない男性ばかりの職場にとても戸惑ったし、そんな環境での上司の配慮のない行動や平気で投げつけられるセクハラ発言を無理やり飲み込みながら仕事をしていた。だから、会うたびに清掃のおばちゃんがかけてくれる「お疲れさまぁ!」の明るい挨拶に「とりあえず、今できることだけ頑張ろう」と、私はいつも元気をもらっていた。

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無視できないセクハラを何とかしたい、でも私ひとりで立ち向かうのはやっぱり怖い。
転職したばかりの私は、心のコップの水が溢れそうなくらいギリギリのところで踏ん張りながら仕事をしていた。そんな日々が続く中で、とある上司からのセクハラで私のコップの水は一気にこぼれてしまった。

女子トイレで嗚咽を漏らしながらもしばらく声を殺して泣いていた時、清掃のおばちゃんが入って来た。きっと女子トイレの清掃時間だったのだと思う。
目と鼻を真っ赤にした私と目があった時、私に何も聞かずにウエストポーチから抹茶の飴を2粒取り出して、私の制服のポケットに入れてくれた。

「大丈夫?ちょっとだけど甘いもの口に入れなさいねぇ」
嗚咽が落ち着いた後、飴を口に含むとほっとして、気持ちも少しずつ落ち着いてきた。
30分ほど女子トイレで気持ちを落ち着かせた後、また私はフロアへ戻ることができた。あの時の清掃のおばちゃんの何も聞かないその優しさと抹茶飴の甘さに私は心底救われた。

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あれから数年が経ち、今も私はパワハラやセクハラの攻撃をかわしながら毎日働いている。
清掃のおばちゃんとは挨拶だけでなく、最近は休日の話など他愛無い会話をすることも増えてきた。

「昨日あそこのスーパーに行ったら、野菜が安かったのよぉ。あなたも行ってみて」
「そうですね!行ってみます!…そういえば、私たちってお互いの名前知らないですよね!」
「たしかにそうねぇ!毎日顔を合わせてるのにねぇ!ふふふ、私は○○っていうのよ」
「○○さんですね!私は□□です!」

首に下げたネームを引っ張って、私は自分の苗字を名乗った。
数年間ほとんど毎日顔を合わせているのに、最近までお互いの苗字すら知らなかった。なんともおかしな間柄すぎて、そして今更感が凄すぎて。ふふふっと、お互いちょっと笑ってしまった。やっぱり素敵な人だなぁと思う。

私がこの職場で今でも踏ん張ることができたのは清掃の○○さんの元気な「お疲れさまぁ!」の挨拶と、ウエストポーチから出てくる数々の飴ちゃんのおかげでもある。
○○さん、本当にいつも気にかけてくれて、そして元気をくれてありがとうございます。
私も○○さんに少しでも元気をお裾分けできればいいなぁと考えながら、元気よく「おはようございまーす!」と挨拶をして仕事スイッチを入れて今日も元気に働こうと思う。