我慢というのも変な話だが、私には今でも母にいじられる話がある。

私は「悩みがなさそうだね」とよく言われる。悩みがないことはないのだが、じゃあ今悩んでることは何かありますか?と聞かれたら即答できない。彼氏が欲しいとか、なかなか痩せないとか、そういった悩みは尽きないのだが、多分聞かれているのはそういうことではないだろう。具体的な重い悩みは確かに人より少ないかもしれない。

そんな私は父と考え方がよく似ている。母は正反対だ。言わば、父と私はポジティブ派、母はネガティブ派。

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ある日、ドライブ中に母が浮かない顔をしていた。「何かあった?」と投げかけると、母は「人間関係でちょっと」と眉毛を下げた。

ネガティブではあるものの、基本明るい性格の母が落ち込んでいるのが珍しく、「話聞こうか?」と投げかけると、少し悩んで、「お父さんには“気にすることない”って言われたんだけど…」と静かに話し始めた。

しかし場所が悪かった。舞台は車の中。私は乗り物に弱く、小さい頃にぐずったりすると車に乗せて少しドライブをするだけで嘘みたいに眠りについていたそうだ。今でもその体質は抜けず、揺れるものに乗ると睡魔が襲う。

かくして、このときの私も母の悩みを運転している母の隣で聞いていたのだが、要は母が所属している地域バレーチームの人間関係がうまくいかないというような、多分、そんな感じの話だった気がする。曖昧にしか覚えていない。途中で眠ってしまったからだ。

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言い訳するとすれば、体質的に眠くなってしまう状況だった、ということになるのだが、例えばこれが「実はお母さん、重い病気で…」なんて話だったら、さすがに私も起きていただろう。少なからず私の中で母のそれは、寝ても差し支えない程度の悩みにしか聞こえなかったのだ。

私と父はあまり人間関係に悩まないほうで、面倒な人間がいたらこっちから切り捨て、コミュニティのいざこざは我関せず傍観する、言い方を選ばなければ薄情な人間だ。だから父も“気にすることない”と言ったのだろう。それができない母故の悩みだったので、「母は優しいんだなあ」と私の中で結論づけて、寝た。もちろん母には「あんたが話聞こうかって言ってくれたくせに!」と呆れられた。

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以降、母は私にこういった類の悩み相談をしてこなくなった。たまに浮かない顔をしていて、私が「どうかした?」と聞いても「あんたはお父さんと一緒で碌に聞いてくれないからいい」とあしらわれる。聞いていないことはない、ただ悩みの重さを同じ秤で量れないだけで。

ただ、今となってこの出来事は、“自分にとって世紀末のような悩みは、他人にとってはなんてことないものだったりする”のだと、私自身も気づかされた。最近私は新しい職場に就いて、なかなか仕事を覚えられないことを少々憂いていたのだが、調べてみると、仕事に慣れるには早い人でも一カ月はかかるらしい。なるほど、ではまだ一週間しか経っていない私が悩むのも阿呆みたいだ、と切り替え、私は明日の出勤に備えようと思う。