いつからだろう……話さなくなったのは、鬱陶しくなったのは、素直になれなくなったのは。
何故そう感じるようになったのか、自分でもよく分からない。
ただ大人になった今もまだ、自分の気持ちを素直に表現できていない。
伝えたいことは沢山あるのに。

反省するまで正座。父に叱られるときは、こっぴどく絞られた

小さい頃を思い出すと、
「パパ~!」
と、父が休みの週末が待ち遠しく、一緒に遊ぶのが楽しくてしかたなかった。
ごっこ遊びや、公園で走り回ったり、プールに行ったり、一輪車の練習をしたり。
沢山のことに一緒に挑戦して、沢山のことができるようになった。

父に叱られた記憶は多くはない。
ただ叱られる時はこっぴどく絞られたので、回数は少なくとも記憶に残っている。
今考えれば当たり前のことかもしれないが、何故叱られなければいけないのか理解できなかったのだ。

叱り方は昔ながらというべきか…。反省するまで正座、外に出されたこともあった。
怒鳴られたり、叱られるのは大人になっても苦手だ。

父の育った家はとても古風で、日本のしきたりを尊重している。
男は外で働き女は家を守る、年功序列、食事の取り方、お盆、お正月、冠婚葬祭。
あげたらきりがない。私はそんなしきたりや風習をベースに自分を判断されて、しつけられる。
昔からの当たり前にただただ従わなければいけないことに、違和感しか感じなかった。

男は働き、女は子を育て。その考えを持つ父に違和感を感じた

特に違和感というか、父との関係がギクシャクし始めたのは中学に上がってからだと思う。私は「英語を話せるようになりたい、留学したい」という夢が小学生の頃からあったが、その為に地元の私立中学校へ受験をさせてもらえた。
無事合格し通い始めると、新しい学びがたくさんあった。

特に海外で起きているニュースや過去の偉人に関する本を読み、自分の事や今まで当たり前と思っていた行動が本当に正しいのか疑問をもつようになった。
男は働く、お金を稼ぐ。女は子を育て、家を守る。その考えがどうしても理解できなかった。

母もパートだが外に働きに出ているのだから、働くということにおいては父と同じだ。
しかし、家事をするのはいつも母だった。

父の実家でもいつもそうだった。
父とその兄弟は座ってお酒を飲んでいるだけで、料理の支度や配膳をするのはその奥さんたちが祖母と一緒に全て行っていた。

“嫁いできた義理娘”が祖母に気を使いながら、『お義母さん、私がやりますよ』『味付けはこれでいいですかね』と気を使い動いている中で、お酒を飲んで最終的には酔って訳の分からないことを言い出して子供達に絡んでくるのだ。
私はそれで何度も嫌な思いをしてきたし、母と喧嘩をする姿も見てきた。

祖母も古い考え方を持っており、孫娘の成長について体のデリケートな部分についても指摘を受けたり。
女の子なんだからいい人を見つけて結婚をしないとねと、事あるごとに言われてきた。
そんな父方の家族への嫌悪感、不信感が年齢とともに増すごとに父に対しても疎遠な対応を取るようになっていってしまったのではないかと考える。

しかし私は父が嫌いなのではない、本当は仲良くしたいと思っているし。
帰省する前にはからなず、心の中で今回こそは沢山話そうと自分に言い聞かせている。

多くを語らない父は夢を否定しなかった。そんな父に感謝をしている

ここからは父への感謝を綴りたい。
父がいなければ私は自分の夢を追うことはできなかった。
小学生の娘が語った夢。私は英語を話したい、高校は留学するんだ、私は世界を繋ぐんだ、
そんな夢を支えてくれたのは父であり、私一人では実現することはできなかった。
今思えば父に自分の夢ややりたいことについて否定されたことがなかった。

多くを語るわけではないが、
『本当にできるか?、やりたいんだな』
父はそう聞いただけだった。

私は高校はアイルランドに3年間留学、大学は4年半の内1年間は韓国へ留学ができた。
人より多くの経験と広い世界で新しい発見を沢山することができたのは、私の人生の宝物だ。

社会に出て働き父の大変さを知った。
そして父も私の大変さを理解してくれている。
社会人になると人との関係が薄くなっていくように感じる、ただその中で家族の大切さに気がついた。

私は長女だ、父ももうすぐ60になる。
近いうちに地元に帰り家族を大切にしながら、新しい夢に向かってまた新たな一歩を歩んでいきたいと考えている。

実は来週実家に帰省する。
その時は父にこの話をしてみようと思う。
きっと父は私の話を聞きながら、また応援してくれるのだろう。

ありがとう