アルバイトへの行き帰り、気が向いた時だけ一駅分歩くようにしている。
「歩く」と言っても、健康的なシャキシャキしたウォーキングではなく、トボトボと歩みを進めている。時には止まって橋の上から乗るはずの電車を眺めてみたり、ケーキ屋さんのショーウィンドウの中身を見てみたり、遠くに見える桜の木に目を凝らしてみてみたり……。
そうして、20分ほどで辿り着く道のりを30分かけて放浪している。

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別に暇なわけではない。どちらかというと私は時間短縮に気を遣う人間で、いわゆる「タイパ(タイムパフォーマンス)」を意識して生きている。1日の予定を決めることに留まらず、タイムスケジュールも立てていて、スマホの通知音は“次の予定”を示すものが多い。だからはじめに歩こうと思った日も「予定より時間巻いてきたけど、早く着いて待つより歩いた方が時間の有効活用できるよね」と考えていた。

歩いてみると、時間はあっという間に過ぎた。もう少しで着くというときに、スマホの通知に“バイト到着”が表示されるのを見て、巻いたはずの時間が押していたことに驚く。テキパキ歩くどころか、道ゆくものをふらふら眺め、空き地の3匹の猫に気を取られていた。

私はペットを飼ったことがないから、外で動物を見かけるとドギマギしてしまう。近寄るのは怖いのに興味はあって、猫をまじまじ見ていた。そんな私とは反対に、道ゆく人のことなんて全く気にする様子もない猫は、堂々とくつろいでいる。

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その日の帰り道、スマホには“22時電車”と表示されていたけれど、何となく昼と同じ道を歩いて帰ることにした。
夜になると景色は変わる。昼間は意識していなかったけれど、一つ向こうの橋で川を渡る電車の様子は、映画やアニメの中に出てくる幻想的な風景のようだ。川に電車の光がうつっている。私はつい、足を止めて何本か電車が通るのを見ていた。
そして、3匹の猫もまたいた。猫のいる空き地の隣の小さな居酒屋が賑わっている。この猫たちは、いつもここにいるのだろうと思う。

その日から私は歩くようになった。トボトボ歩きながら「あ、桜明日には散りそう」とか「あ、新しいケーキある」とか考えた。

ある日、前を歩く親子が猫に気付き、近くに寄って「ねこちゃん!」と呼びかけているのを見た。猫は顔を上げることはおろか、何の反応も示さない。ただいつも通りくつろいでいる。親子はそれ以上呼びかけることなく「寝てるのかな」と去っていった。

私は今まで猫たちに声をかけるどころか、近づいたこともない。ただ、通り過ぎる間に凝視するだけ。近くに行くのは怖い私にはそれで良かったのだけれど、前を歩く親子が猫に話しかけるのを見て、頻繁に通っている私なら、反応してもらえるんじゃないかと考えた。

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別の日の帰り道、人が周りにいないことを十分確認し、ボリュームも最大限下げた囁き声で「おーい、猫ちゃん」と呼んでみた。声は小さいけれど、聞こえているはずだ。何度か呼んでみる。が、いくら呼んでみてもこちらに反応することはなかった。呆気なく惨敗。
何となくそんな気もしていたけれど、がっかりした私は猫を飼う友人にこの話をした。友人は「うちのキキちゃんは名前呼んだらすぐきてくれるよ」と言った。なるほど、“猫ちゃん”呼びがよくなかったのか、と反応してもらえなかったことをそんな風に解釈してみる。猫ちゃんたちの名前は何ていうのだろう、とそこで名前が気になった。そもそも名前はあるのだろうか、居酒屋のおじさんが時々猫に話しかけているのを見たけれど、名前を呼んでいたかはわからない。
触れるのは怖いけれど、名前を呼んで応えてもらいたい。いつの間にか、そんな風に思っていた。くつろぐ意思の固い様子には、憧れる気持ちと仲良くなりたい気持ちがある。

私は、猫のくつろぐ姿を見て、歩く道の景色を見て、トボトボ歩く時間が好きになっていた。歩いていると、スマホに表示される超スピードの予定にはかえられない時間を過ごすことができる。今私は、3匹の猫の名前を呼んで「にゃーん」と応えてもらうことを目標にしている。