「音楽で生計を立てる」という目標を諦めた時、音楽との関係性はかなり柔らかく変化した。そのきっかけは、ピアノだった。我が家のグランドピアノは、吹き抜けになった階段の下にある。休みの日の昼過ぎや、木漏れ日が窓ガラスに柄を作る夕方、雨の日の湿度の高い朝、ピアノの前に座る。どんな時に弾いていても、それはそれはどこよりも素敵な、私とピアノだけの世界。艶っとした音色を聴かせてくれる我が家のピアノは、すっかり私の相棒である。
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時間はたっぷりとあったから、色んな曲を弾けるようになりたいと、色んな楽譜を本棚から引っ張り出してきた。スイスから完全帰国した夏は、久石譲の「Summer」を練習して、あの切なくて美しい夏の情景と自分の感情を重ねた。他には、ベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の2楽章、ドビュッシーの「月の光」、シューマンの「森の情景」などなど。せっかくだから過去に弾いていた曲も常に弾ける状態にしようと、再び練習したのはショパンの「幻想即興曲」だった。
ピアノはしばし私を癒してくれる。1人で内面と向き合いながら美しい音楽を探求する時間。姪っ子と歌いながら弾いたり、声楽を勉強していた母の伴奏をしたり。音楽を死に物狂いで勉強していたおかげで、楽譜を読むのが上手になっていて、面白いくらい演奏するのが楽しくなっていた。まだ人前で演奏する自信はないけれど、ときどきSNSにあげる演奏動画に友人が反応してくれることも、とても嬉しかった。
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先日、久しぶりに人前で演奏する機会が巡ってきた。母の友人のピアノの先生の発表会にお手伝いで演奏を頼まれたのだ。ピアノはショパンの「幻想即興曲」を、約35年ぶりに舞台に立つ母の伴奏と、一応オーボエも練習しなくてもギリギリ演奏できる無伴奏の曲を用意した。発表会当日、ホールについてリハーサルをしようとピアノの鍵盤を叩く。ふむ、このピアノは低音の響きが強くて高音は弱い。ホールは音は飛ぶけど跳ね返しは少ない。最初に母と合わせをして、その後にショパン、最後にオーボエを吹いて調整をする。ものの10分ほどであっという間にリハーサルは終わってしまい、以前なら考えられないようなくらい不安だった。けれど「今日は舞台に上がってお辞儀するだけで100点満点!」と自分に言い聞かせると、肩の力が抜けた。
本番はあっという間に来た。教室の生徒さんたちの演奏を聞きながら自分の出番を待つ。ピアノの前に座った時、私が今考えるべきことは、「今の状態で、いかに素敵な音楽を作り上げるか」ということだけ。いつものように弾けば、きっと素敵になる。よし、と気持ちを固めて、Gisのオクターブに両手を乗せる。そして始まるショパンのファンタジーの世界。ダイナミックで妖艶であるけれど、メロディックで格好いい。そして現れるのが、ショパンの夢想の世界。永遠に続いてほしいほどの、美しくて優しい音楽。思わず浸っていると、飽きてきたのか子どもの声が聞こえてきたので、ちょっと巻きでそのパートを終わらせて再現部に戻る。途中一瞬指が絡まってドキッとしたけれど、無事に最後の音を弾き終えて、ペダルをそっと上げた。
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全ての出番を終えて、聴きに来ていた父と3人で帰路に着つく。父は、私だけ上手すぎた、と珍しく誉めてくれたし、母もショパンを弾いている時、子ども達がとても感動していたと教えてくれた。母との共演も、とても素敵な思い出になった。もうプロとしてステージに立つことはないけれど、こうして未来ある誰かの夢のきっかけにでもなれたりしたら、長かった学生生活も無意味ではなかったのかなと思う。来年は何を演奏しようか、と母と早速相談を始めた。音楽家を辞めると決めた時、私の師匠は「音楽はdas Leben (人生)だよ」と言い、先日旅立った音楽家は、「Ars longa, vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」と遺していた。短い人生の中で、歴史に残されている全ての曲を弾こうと思うととても時間が足りない。だからこそ一つ一つの音符を慈しみながら、音楽と共に生きていきたい。