「それ、セクハラですよ」
真顔のまま相手の目を見据えて言う。柔らかく笑顔でかわすなんてしない。世間ではよろしくないとされるかもしれないけど、これがわたしの「セクハラかわし術」だ。

◎          ◎

大学生になってから、アルバイトをするようになった。わたしは高校卒業まで、自分と歳が近く価値観が似ている人ばかりいる環境にずっと身を置いてきた。そんなわたしにとって、幅広い年齢層の人がいる、それぞれが多様なバックグラウンドを持つ場所というのは新鮮だった。丁度わたしが働き始めた時期は、大学生の女の子が1人しかいなかったため、とりたてて美形でないわたしでもちやほやされた。しかしそれと同時に、一部の人から「セクハラ発言」をされるようになった。

ロングの黒髪をばっさりと切ってショートにすれば、「木由ちゃん、髪切っちゃったんだ。髪長い方が男にモテるから切らない方がよかったのに」紫のアイシャドウを使えば、「紫って欲求不満の色らしいけど、木由ちゃんはどうなの?」しばらく彼氏がいないことをどこからか聞きつけて、「木由ちゃんはいつ彼氏つくるの?」

正直、グレーゾーン的な発言かもしれない。しかし社会経験が未熟なわたしは、そういう発言の上手いかわし方を知らなかった。ただ、アルバイトという狭いコミュニティの中で波風を立てるのは控えたかった。わたしはセクハラ発言をされるたびに、モヤッとしながら笑って流していた。

◎          ◎

大学2年生になっても、同じ職場でアルバイトを続けていた。わたしはふと思い立って、高校生の時に聴いていた曲を聴き直した。大好きなアイドルグループの曲だ。ワイヤレスイヤホンから流れる言葉が頭に響いた。

わたしははっと目が覚めた。そうだ、なんで今まで我慢していたんだろう、嫌だと感じたことを嫌だと言わなかったんだろう。わたしは周りの空気や環境を気にしすぎて、肝心の自分の気持ちを蔑ろにしていたと気がついた。自分の感情を笑顔で誤魔化していた。もうそんなのはやめにしよう。

曲を聴いた後、初めての出勤日が来た。お決まりのように、自分に対してセクハラ発言が飛ぶ。例の如く笑顔をつくりそうになってから、マスクの下で口角をきゅっと下げる。だって笑顔で誤魔化さないと決めたから。わたしは相手の目を見据えて、にこりともせずに言い放つ。「それ、セクハラですよ」

◎          ◎

相手は少し面食らったように見えた。当たり前だ。今まで笑顔で対応していた女子大生が、急に冷たい態度を見せたのだから。「冗談だよ木由ちゃん、あんまり本気にしないでよ」相手は慌てたように言って、会話を終わらせた。

これでいいんだ、とわたしは思った。セクハラ発言をされたら、毅然とした態度で立ち向かう。セクハラ発言がなければ、和やかに会話を楽しむ。セクハラを我慢してまで、会話を楽しむフリはしなくていい。

わたしがセクハラに「NO」を表明したその日から、わたしに対するセクハラ発言は減少した。もしかしたら、場の空気を読めない、面白くない女だと思われたのかもしれない。セクハラの対象は、わたしからギャルの先輩に移った。彼女はずっと笑顔でセクハラをかわしていた。彼女にとっては、それが正解なのだろう。でも、わたしにとっては違う。

周りからしたら、場の空気を壊す「悪い女」かもしれないけど、わたしはそれでいい。わたしは自分に嘘をつかない、自分の心に「正しい女」でありたいから。