「運がいいと信じていれば、運が味方してくれる」
不運にも、心配性な母の気質を受け継いだ。悪いことが起きるんじゃないか、といつも気を揉み、自ら幸せから遠ざかっていた私に、そう教えてくれた人がいた。
教訓を得て以来、自分は運がいい方だと思い込むようにしている。雨予報だったけど、振られずに済んだ。ずっと気になっていた服を買う決心がついた矢先、値下げされた。
日常の、ささいな出来事。これくらい誰にでもあるだろうし、幸運というほど特別でもない。ただ一つ言えるのは、物事をどう捉えるかが大事なのだ。何があっても「私はついている」と考えるだけで日常の幸福度が高まり、自分の未来を信じて前に進める。
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自己暗示をかけて、何とか幸せを追い求めてきた訳だが、唯一、仕事に関しては根拠なく前進できた。
高校生の時、人の心を動かす言葉が紡げるライターになりたいという夢ができた。大学は、文章力だけでなく、幅広い知識や感受性を養えるカリキュラムのそろった学部に進学した。いよいよ就活が始まると、マスコミ関係から企業の広報業務まで、“書く”に携わる仕事を片っ端から受けた。
50社近くエントリーシートを提出し、いくつか面接まで進んだものの、ことごとく全滅した。大学4年生の秋、将来が決まり、飲み会だ、卒業旅行だ、と周囲が学生生活最後の思い出づくりに勤しんでいる最中、往生際の悪い私は就活を続けていた。捨て身で、縁もゆかりもない地方の、名も知らぬ会社にも応募した。卒業を目前に控えた冬、とある地方の情報誌を製作するライターとして採用された。
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29歳になった今も、拾ってくれた会社で働いている。仕事が楽しくて、自ら辞めないと思っていたが、一度だけ、退職を考えざるを得ない状況に陥った。
入社して5年目を迎えた27歳の時、2、3年に1回、全国転勤がある彼と結婚が決まった。両親が共働きで、子ども時代は寂しい思いをした者同士、別居は選択肢になかった。管理職だった彼の立場を尊重して転勤についていき、職場がある隣県まで片道2時間かけて新幹線通勤することにした。
同期や仲の良い先輩は私の心身を相当に気遣い、しばしば食事に誘っては話を聞いてくれた。上司は業務負担を軽減するため、残業を惜しまなかった。本当にありがたかったが、大変とはいえ自分の勝手な決断で誰かに迷惑をかけるわけにはいかない、と甘えられなかった。何より、特別扱いが大の苦手だった。
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1年と半年がたった頃、子どもを授かり、出産を機に長時間通勤にの生活に終止符が打たれた。産休を取得したものの、復帰後、仕事と育児を両立させながら往復4時間通勤する生活は現実的でなかった。「職場復帰できるのか」。誰も口にはしなかったが、私も含め甚だ疑問だった。
やるしかない。娘が生後6か月になったタイミングで復帰を決め、準備していた矢先、転機が訪れた。私の職場がある町に、旦那の転勤が決まった。働きやすい環境が整った上で復帰が叶う。
好きな仕事に就きたい。生涯働き続けたい。思いを実現するために、何度も障壁が立ちはだかった。打ちひしがれ、諦めかけた。その度に、幸運に恵まれ、道が開けた。
結局のところ、幸運は自分で引き起こすしかない。そう思っていた方が、どんな逆境に遭っても折れずにいられる気がする。