「私の健康は、身体の我慢によって成り立っていたのか」と気づかれたのは、駅で倒れた24歳の冬のこと。
私は自律神経失調症になったのだ。しかも重度の。
自分に合う治療を見つけられず、いろんな医者へ行ったものの、伝えられる原因はいつも同じ。
「ストレスですね、いろいろ考えすぎです」

心療内科、リラクゼーションハーブ、整体…いろいろ試したが治る兆しがなかった。
私ほんとに一生体調悪いままかも…そんな暗澹たる気持ちを抱えていた時に、鍼灸に出会った。ものは試しで受けに行く。
施術後、身体が緩んで、自分の身体が岩のようにかちこちだったことを知る。
鍼灸はじめ東洋医学では、疲れやストレスなどが内臓に溜まることで、内臓が不調や機能不全を起こすと考えられているそうだ。
おそらくあの時、内臓のツボに鍼をされたことがよかったのだと思う。弛緩した身体を感じながら、少しの希望と共に帰って爆睡した。

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しかし治る兆しがみえても、不調はなお続く。
そして、不調は予期できない。
さっきまでふつうにしていたのに、急に吐き気がして立っていられなくなることもあった。
電車に乗っていたら、急に動悸がして動けなくなり、駅の救護室に運ばれた回数は数知れない。
こんな時よく思った。
「ああ、わたしの意識など全く及ばない」
病気になるまで私が知っていた自分の身体は、意識が及んでいたのだ。
眠くなるな!と思えば、なんとか起きてられる。おしっこが漏れそうでも、我慢して!と思えば漏れることはない。元気を出してやりきれ!と思えば、けだるくても徹夜をして課題を仕上げた。

そんな理屈は、全くもって通らない身体と出会ったのだ。
倒れるな!と思っても、倒れてしまう。吐き気こないで!と思っても、きてしまう。食べよう!と思っても、全然食べることができない。
自分の身体のようで、自分の身体でない。そんな、ままならない身体と1年半向き合い続けた。

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向き合っていく中で、私は不調が起こりやすくなる条件を見つけた。
それは、自分の身体に何かを我慢させた時なのだ。
うんちが出そうだけど、もう少しあとにしよう。
喉が渇いているけど、水筒忘れたから家に帰って飲もう。
そんな時に不調が起こりやすいことに気づいた。そう気づいてから、私は身体の声に耳をすましてみることにした。すると、身体はもっと多くのことを語っていた。
唐揚げが食べたいけど、胃腸は脂っこいものを受けつけない気がする。
甘ったるいものを食べたいけど、身体が消化できないって言っている。
まだスマホをいじっていたいけど、目が疲れている感じがする。
まるで、自分が2人いるようだった。
意識レベルでの欲求と、意識が及ばない身体レベルでの欲求。
自律神経失調症になってから、身体レベルの欲求を叶えることを徹底してみた。
身体レベルの欲求を我慢しないということは、やはり無理がないのである。無理がないから、不調も起こりにくくなっていった。

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重症な自律神経失調症は、ほんとうに辛かった。
なってよかった、なんて決して思わない。けれども、自律神経失調症になって出会えた世界や、気づいたことは、とても面白く豊かなメッセージにあふれていた。
私の自律神経失調症の原因は、身体の声を無視し続けて、意識を優先したことで、身体の我慢の限界を迎えたことだと思っている。
もうこれ以上身体の声を無視しないで!って、身体が悲鳴をあげた結果だったのだと。
「こんなに我慢させて、なんて無理をさせてきたんだろう」と、気づいた時には涙が出た。もう我慢なんてしなくていい。身体を無視しないとやっていけない人間関係も社会も見直せばいい。そう思ってから早2年。私は今日もきょうとて、身体をまあるくなでて、生きている。