私の欲は演じることだ。ステージに立ち、人に注目されることが好きだからだ。
そのため、何歳になろうと、演じ続けるために演じられる環境をなんとしても維持していきたいと思っている。
今は実際、会社で働きながら、休みの日に演劇活動に励んでいる。一般公募のオーディションの会場に行って審査を受けたり、逆にオンラインでオーディションを受けたり。そのためにエントリー用紙のネタを考えたり、宣材写真を撮りに行ったり。さらに宣材写真のクオリティーをあげるために、直前に髪を切りに行ったり、眉毛ワックスをして眉の形を整えたり。一つのオーディションにエントリーするだけで色々な事前準備をする。それだけ私にとって演じること、演じる環境を守ることは情熱を注げる活動であり、第二の仕事だと考えている。

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しかし、一度だけ、演じることを諦めてしまったことがある。演技が好きという揺るがない気持ちを無理やり押し殺して、ないものにしてしまった。理由は高校2年生から塾が本格的に忙しくなってしまったからだ。私は推薦入試、AO入試、帰国子女入試と色んな大学試験を受ける予定だったため、学校では内申のために学校の授業を、塾では受験のための授業を受けに行き、塾に入り浸りの生活だった。小論文、志望校専門の対策、英単語力アップ講座、願書作成クラス、面接の練習、小論文の書き直し。忙しすぎて、塾でこなさないといけない課題によって学校の勉強に集中できず、かといって学校の勉強をないがしろにすれば内申に響き推薦をとれないというジレンマを抱えていた。さらに塾に勧められるがままに、興味のない大学の専門対策クラスを受けて、時間を無駄にした。その時間を好きなことに当てたほうが、よほど有意義だったのにと大人になってから思う。

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塾のために部活を諦めている子は周りにはほとんどいなかったけれども、私には塾と学校の負担が多すぎるあまり、パニック状態に陥っていた。だからこれ以上できない、と思ったときに演劇部の時間を削った。大切でかけがえのない、今しかない時間を、しょうがないと思って削った。私はあえて笑顔で部員に休部の意思を伝えた。

残念ながら、休部をしたところで、勉強の効率は相変わらず悪く、学校の成績は伸びなかった。それどこか、演劇部のみんなの活躍を観るたびに、ショックの連続だった。文化祭では、同期が涙ぐましい努力で書いた脚本を、素晴らしい演出で部員が輝かしく演じていた。劇を観た親御さんや先生がみんなの演技に心を動かされ、目をはらして泣いている姿を見て、心がもやもやした。私はどうしてこんな素晴らしい作品の一部に関われなかったのか?演劇より塾が大事なわけがないのに。演劇を頑張ることで大学受験に失敗するわけではないのに。すべては好きなことと、やらないといけないことのバランスなのに、私はあまりにもバランスを取るのが下手くそだった。だから高校演劇の青春や後輩を作る喜びを自分の決断で失ってしまった。

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さらに私が演劇を我慢したことが与えた影響は、部員にも及んだ。あの頃、私は自分のことで頭がいっぱいで、休部による周りへの影響を何も考えていなかった。だから後から知ったのだが、私以上に、部員のみんなは自分の休部を重く受けとめていたそうだ。元々同期5人、後輩3人しかいない、かなり小規模な部活だった上に、先輩が卒業しまい、私がこれから演劇部を引っ張っていってくれると同期は期待してくれていたらしい。自分が本当に好きな演劇を我慢する分には周りに迷惑をかけていないと思っていたが、実は人員が足りなくなる以上に、私の存在が演劇部にとって大きかった。私の想像よりずっと、部員は私を愛してくれていて、思ってくれていて、私の不在を悲しんでいた。我慢って、自分だけじゃなくて、自分を大切に思ってくれている人も傷つけてしまう行為だ。

大学受験や将来のための勉強と同じぐらい、今しかできないことを思う存分楽しむ時間は、取って代わることのできない体験だ。好き、やりたいという素直な気持ちに従っていれば、自分がこれから情熱を注ぎたいことへの道がなんとなく見えてくるはずだ。今、私は自分を信じてやりたいことを我慢せず、演劇を頑張っている。