「夢」と胸をはって言えるほどの希望ではなくても、ちょっとした憧れや思いつきで、人生が変わることもある。
8年前、東京の高校から、私は京都の大学に進学した。当時は、単なる大学の進路という程度の決断だったが、結果的にはそれは「移住」となった。私は今も京都に住んでいる。
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私の母校は都心の中高一貫校の女子校で、同級生は皆似たり寄ったりの同じような家庭環境。中1の頃は、それぞれの地元や小学校の友人との繋がりをもつ人もいたものの、他の学校の生徒と交わる機会も無い私たちは、いつしか学校が唯一の世界となっていた。6年間の教育で価値観まで同質化された少女たちの人生は、あの環境が、社会一般的に見たら、非常に特殊で閉鎖的な空間なのだと気づいたのがいつだったのかによって、異なる方向を向いていったのではないかと今では思う。幸か不幸か、学校に若干の居心地の悪さを抱いていた私は、受験期に京都の大学を舞台にした小説を読んだことで、「実家を出て、新天地の大学に行く」という、同級生とは全く異なる進路希望をもつことになった。
東京を離れた今となっては、8年前の私が、なぜそんなに京都に惹かれたのか不思議だが、地方から上京する若者が東京に漠然とした夢や希望を持つのと、さほど変わらなかったかもしれない。家も親戚も皆首都圏だった私は、他地方への旅行経験もほとんどなく、遠くの県というのは、全くの別世界だった。京都の大学生活を描いた小説で出てきた、山や川という風景描写に驚き、新鮮さを感じたくらいだったのだから。
「京都に行く」という漠然とした憧れだけを胸に、苦手な科目はそこそこに、好きな科目を根詰めて勉強した私は、合格最低点ギリギリで大学に合格。実感のないまま京都に引っ越した。
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京都での生活はとても楽しく、かげがえのない大学生活を満喫した。しかし、4年間東京の競争社会から離れていた私は、情報戦ともいえる就活で惨敗。まだオンライン面接もあまりなかったし、地方からの就活は金銭的にも時間的にも無理が多かった。結局、人に言えるような会社には就職できず、転職も経験し、いまだに安月給で淡々と働いている。東京都心でバリバリと働くOLには、一生なれそうもない。京都での大学生活がもたらしてくれた温かい思い出への満足感と、キラキラと働けなかった現在の状況への不満は、いつも心で乖離する。
現在26歳。風のうわさで聞く高校の同級生たちは、医師に弁護士に、歌手やテレビキャスターなど、職業ランキングがあれば上位に君臨するような仕事についているらしい。
彼女たちや、メディアで見聞きするサクセスストーリーの主人公のような、時間をかけて諦めないような将来や希望を夢というのだろう。
何者にもなれなかった私は、ただただ平凡な毎日を過ごしながら、何者かになっていた道を妄想し、自分は特に夢もなかったくせに、それぞれの夢を叶えた人たちに嫉妬する。
たまたま一時的に抱いた憧れで、人生が変わってしまったが、それは「夢を叶えた」というのだろうか。「夢」って、もっと時間をかけて、努力しながら着実に近づいていく、もっと大きなものじゃないのだろうか。
でも、夢が思いつかないのなら、ひとつの夢にむかって前進するという生き方よりも、流れに身を任せて、ひとつひとつの環境を自分で肯定して生きていくしかないのかもしれない。
時に現実は恐ろしいほどの強制力を持って押しかけてくる。その時に、心を壊さずに守ってあげるには、夢や希望に固執するよりも、導かれる方向に自分を合わせていくことじゃないだろうか。こんな考え、冷めすぎているだろうか。