子供の頃、自分には無限の可能性があると本気で思っていた。周りの大人たちがみな、口を揃えてそう私に言っていたから。大人になるのが楽しみで、わくわくしていた。素直で人の言葉を疑うことを知らなかった私は自分がなりたい何者かになれると信じて疑わなかった。大学を出たら、やりたい仕事でバリバリ働いて、30歳になった頃には結婚もしていて、イケメンの旦那さんと可愛い子供の子育てをしている、充実した毎日を生きているかっこよくて綺麗な女性になっている みたいな、絵に描いた文字通り信じられない未来を思い描いていた。

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それで、今の自分はどうかというとイケメンの旦那さんも可愛い子供もいなければ、仕事もついこの前辞めた、まさに無職のアラサーである。初めて就職ししたところではやりがいを求めてバリバリ働いて身体を壊した。それ以来バリバリ働かなくなり、次に勤めたところでは人間関係が嫌になって辞めた。

私の無限の可能性を活かせる場所は一体どこなのだろう?私は何がしたいのだろう?と本気で考えてみても、私が見つけない限り、それは見つからなくて、私はいまだに迷っている。誰しも、この仕事は向いていないとか、もっと自分に合った何かがあると願いながら生きているのだと、私の今の状況は甘えなのだと、そういう意見もあると思う。それは正しいのかもしれない。ただ私は堪え性がなくて、自分を過信して、甘えているのかもしれない。まだ私は半人前なのかもしれない、成人式に出てから10年近く経とうとしているのに。自分自身に失望するくらい私は思い描いた夢からほど遠い。

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もしもタイムリープができて過去の自分に会うことがあれば、本当に思い描く夢を実現したいのなら、そのための準備をしなさいと言ってやりたい。自分が興味を持てる分野を真面目に探し、そのための勉強をして、未来のふさわしい旦那さんを真面目に探して、見つけたら結婚までこぎつけて…。きっと、それらが一つ一つ達成された頃には双六のような人生になるだろう。3マス戻るとか、一回休みなどない、効率的で窮屈で、夢に向かって生きているのか、夢を生きているのかよくわからない感じになるだろう。きっとそんな人生も悪くない。なにか目指すものがあって、幼い頃からただそれを一直線に目指していると、若くしてその道のプロになれるのかもしれない。アスリートや、芸術家、研究者とかはきっとそうやってなっていくものなのだろう。

私は、夢があって小さい頃からそのために努力をし続けている人を心から尊敬している。鋼のような意志なのかそうではないのかに限らず、自分で決めたことをこつこつとやり遂げるその精神力は私にはないから、純粋に敬意を表する。そういう人たちのやり遂げる実行力は毎日の小さなタスクの積み重ねをやり遂げたという事実が自信になっているのだと思う。私もそういうこつこつ続けられる何かを見つけたい。今の私の夢はそれだ。

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ところで、私がここへエッセイを投稿しだしたのは2年前の秋だった。はじめは賞金欲しさに始めたけれど、毎週発表される様々なテーマに対して、どんなアプローチ・言葉遣いで今回は何を書こうかなと考えて、自分の言葉にすることはいつも難しくも楽しいと思っていた。自分はどんな経験をしてきて、何の記憶があって、その時に何を感じたのかを見つめ直せるのが、エッセイを書き始めた頃の私にとってとても大切なことだった。それまで、自分を見つめ直すことはしてこなかったから。「誤解なく伝えたい、読みやすさを重視したい、そして、読み終えたときに少しでも読んで良かったと思ってもらえるようなものを書きたい」。いつもこのことを意識していた。今の私がこつこつ続けてきたと誰かに言えることはここにエッセイを投稿することだけだ、まだ2年も経っていないし、誰かに話したこともほとんどないけれど。

子供の頃に描いた夢で叶えたことはまだ何もない。もしかしたら、どれも叶えられずに一生を終えるかもしれない。けれど歳を取ることで、私は、私たちは変化していくと思う。だから、夢も変わっても良いと思う。きっと私は長生きするから、夢が今後も変わっていくかもしれない。そしたら、またその夢を追いたいと思う。きっとそんな人生も悪くない。