自分は比較的、周囲の状況が気になりやすい人間だという認識がある。職場で比較的小さい部屋の部署に異動になったときは、誰がどこで何をしているか、大体把握できていた。街中ですれ違った人たちの会話も、一言一句聞き取れてしまう。周りがよく見えていると言えば聞こえがいいが、おかげで目の前のことに集中できないこともしばしばだった。情報のシャットアウトが下手なタイプとも言い換えられるだろうか。半ば無意識の警戒なのかもしれないと思えるほどに、ひとりで自宅にいるとき以外、私のアンテナは常に何かに反応し続けている。

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この警戒は、私に様々な気づきを与える。落とし物を拾いやすいのも、おそらくこのせいだろう。そうした場合はいいのだけれど、残念なことに、異質なものも見つけやすかったりする。ポイ捨てされたゴミ、動物の死骸、そしてマナー違反する人たちを。

ある日の夕方のことだ。外出する際、私は周りの音をシャットアウトしたいがためにイヤホンをつけていることが多いのだが、この日も例に漏れなかった。それなりに混み合っている電車に乗った私の目に、正面に立っている女性が止まった。20代半ばくらいだろうか。ドア横の取手にもたれて立つその人の肩の上では、茶色いストレートの髪がサラサラと揺れている。素敵だな、と率直に感じた。マスクをする人が減った分、いろんなメイクを見られるのも個人的には嬉しい。

と、思ったところで違和感に気がついた。私の立ち位置からは横顔しか見えないその人の唇が、動いている。まるで誰かと会話しているように。イヤホンをしていた私はそのとき初めて、彼女が電車内で堂々と通話していることに気がついた。

目の前の光景から逃避しようとスマホを見れば、動物園のマナー違反について苦言を呈したツイートが賑わっていた。傘の使用を断る文言のある区域で、女性2人組が注意されてもなお日傘の使用をやめなかったという。本人たちの主張としては「日焼けをしたくないから」との旨だったらしい。私は今度こそがっくりとした。

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当たり前だと思って生きてきた約束ごとを、平然と破る人たちがいる。そして悲しいことに、そうした人たちは見かけこそ本当にかわいいのだ。手入れをされている、と感じる。自分自身に手間暇をかけているのが、パッと見ただけでも伝わる。だけどもしそれが、他人の都合を押しのけて重ねている努力ならいやだなと、私は考えてしまうのだ。

そんな自分の心の動きに気づくたびにハッとして、すごくさもしい気分になる。本当はもっといろんな人がマナーを侵していて、それでも私がひとの粗探しをするばかりにかわいい人だけの印象を記憶に刻みつけているのかな、とか。かわいいからこそ目を引いてしまう人がいて、たまたまルールを破る瞬間を見てしまったのかな、とか。

劣等感やら嫌悪感やら、そのほか情けない感情でできた色眼鏡を外せずにいる自分の姿を、容赦なく突きつけられるように思うのだ。私はいつだって周りと自分の価値観のすり合わせを求めて、答え合わせをしたがっている。
公共の場の約束ごとを破る人はもちろん「悪い」。けれどそれに「悪い」とジャッジした私の心は、はたして本当に「よい」ものなのだろうか。

少なくともきっと、かわいくはないことだけを知っている。